老後体調不良...いくつ?2025/05/17 18:44

間もなく満86才になる。父の享年を超え、母の享年まであと8年、知人、友人の訃報を聞く都度、そのような世代に自分自身がいることを気づかされるが、あまり気にせず過ごしてきた。

しかし、我がキョウダイ(妹・弟)の弟の連れ合いが、先日、大動脈解離で急死し、その様なことが起きる世代に居ることを強烈に認識させられた。

加齢による体調不良は当然のこととしてきたが、改めて一体いくつの不調を抱えているのかと気になった。

病に限らず、加齢にともなう愉快ならざる体調を以下列記する。

I.医師の検診を受けてない不調

 1.シミ
   顔にシミがいくつかある
   頭の髪の毛の中には結構たくさんある 痛くも痒くもないが不愉快

 2.禿げ
   髪の毛が薄くなり、白くなるのは何の不思議もなく痛くも痒くもない
   たまたま手鑑で、後頭部に髪が殆どないことに気付き驚いた

 3.難聴
   難聴を最初に意識したのは、50代。
   補聴器常用 補聴器がなければ無音の世界
   補聴器を使っても 言葉としての認識が悪く良く聞き取れない
   従って、会話に参加できないこと度々

 4.鼻水多
   鼻水がよく出て、鼻を噛む頻度が高い
   老化の一現象とそのままにしている

 5.耳痒み
   耳たぶと耳の中両方痒くなる
   常用薬何れかの副作用をうたがう
   特に何もしていない

 6.近視
   白内障手術の際元の視力に戻ると聞いたが、そうはならなかった
   遠距離用 近距離用の2つのメガネを使用中
   近距離用(パソコンのモニターを見るため)の度が合っていない

 7.肩関節痛
   ここ1年、肩関節が痛み始めた

 8.腰痛
   腰痛を80代になってから感じるようになった

 9.排便
   回数多く且つゆるい。排便が日に4回くらいり都度ゆるくなる

 10.歩きおなら
   ジム通い、買い物お供の折、かみさんに怒られる

 11.不整脈
   血圧測定時に脈拍が何度も不規則になる_脈を打たない_ことを 確認

 12.睡眠中の脚攣り
   漢方薬を処方されたことがあるが、全く効果なく、止めた。
   これも80代を超えてから頻度が多くなっている
   最近は毎晩である

 13.右足ふくらはぎ痛み
   日中常に軽く攣っている感

 14.右足首の動きが硬い
   階段が円滑に降りられない

 15.歩行不安定
   長時間歩行が出来ない 連続歩行40分でかなり疲れる
   間を置いてなら、1万歩歩けることもある。
   歩き方が不安定

II.医師の検診を受け薬を常用している不調

 1.無呼吸症候群
   CPAP(「持続陽圧呼吸療法)」を常用して30年以上
   その効果のお蔭か、鼾を掻くことがなくなった

 2.歯茎痛
   下顎両方 の歯茎が軽く痛む
   歯槽膿漏のためと医者は言う
   下の奥歯左2本右3本、計5本を抜歯して、現在永久歯は27本
   耐えられないほどの痛みではないので、そのままにしている
   抜歯した奥歯には部分入れ歯をしている
   3ヶ月に1度歯科の検診を受けている

 3.高血圧
   50代後半から、高血圧となり以降血圧降下剤常用
   毎月、検診を受け、処方薬で医師指定の基準値血圧維持   
   最高血圧値135以下、最低血圧値85以下を平均として維持

 4.狭心症
   60代に入院 その後、薬を常用

 5.血栓症
   血栓症で入院以降毎月検診を受け血流促進剤を常用

 6.痛風
   作年 6、7、8月と3ヶ月立て続けに痛風の激痛発作 
   尿酸値低下薬を常用 以来激痛は起きていない
   だが、また起きるのではないかとの不安は消えない

 7.高血糖値
   医師から「高めだがが薬を飲むほどではない」と言われてきた 
   ここ数年毎年健康診断で、糖尿病と断定される
   薬を常用開始

 8.肌痒み
   血圧降下剤の副作用と思われる 
   薬を飲むことで、肌の痒みは最近抑えられている

 9.胸焼け
   多分常用薬の何れかの副作用と思われるが、
   日中胸焼けが起こる
   痛みが強いときは胃薬を飲んでいる

 10.頻尿
   50代後半から続く症状、加齢と共に酷くなる
   日中机に向かっているときは30分に一回は尿意 睡眠中は3-4回
   薬が効いたことがない
   最近エコー検査で再検査をし、改めて泌尿器科通い開始予定
   不思議なのは、電車に座っていると、1時間は尿意を感じない

 11.爪水虫
   皮膚科で、毎月検診 薬を処方してもらい毎朝塗布 
   以前より良くなったが、完治ではない

III.その他気になること
 
   以上だが、何と数の多いことかと我ながら驚く。ただ、実弟の連れ合いが77才で、大動脈解離で急死したことから、そのようなことが起こる可能性を心配し始めている。

   常用薬多_オーバードーセージ? 血圧降下剤、 血流促進剤、痒み止め、 血栓防止剤 、尿酸値低下剤、血糖値抑制剤、胃腸薬等を毎朝飲んでいる。少し多すぎではないか?

老後は、これらの不調と付き合いながら、過ごしていくほかないと諦めているが、心の安定と、体力の維持が老後の生活不可欠と思うので、それを意識して過ごしたい。

インターネット情報にで「脳を若く保つために重要なポイントは6つあることが分かっている。運動、食事、睡眠、会話・コミュニケーション、主観的幸福感、趣味・好奇心だ」とあるのを見付けた。

反省するに、会話・コミュニケーション、主観的幸福感が我身の課題。

ぎっくり腰に見舞われた2024/12/19 14:04

12月10日ぎっくり腰に見舞われた。最近、夜中に脚が攣り、痛くて目が覚めるのがほぼ連日となっているが、この痛みから逃れるためにベッドから降りて、ふくらはぎやアキレス腱を引き延ばそうとしていたとき、あまりの痛さに、転倒し尻餅をついてしまった。

何とか、脚の攣りの痛みを解決し、ベッドに戻ったが、腰が痛み、横になるのに大苦労をした。

朝、起き上がろうとしたが、腰がギクッと痛むことが度々あった。何とか痛みをこらえて、朝の身繕いを終えた。

このような腰の痛みは初めての経験で、ふと、友人2人が、圧迫骨折で腰の痛みに苦労していることを思いだした。

まさかそのような病気ではあるまいなと心配になり、カミさんに同行してもらい整形外科に出掛けた。

カミさんに病院に同行してもらうのは、ここ数年来続いていることである。

というのは、数年前、電車に乗り遅れそうになり、ホームを走ったとき躓いてホームに転倒した。肩の痛みが酷いので、整形外科に1人で出掛けた。肩にギブスを填められたが、難聴で、細かい話や、長い話は聞き取りにくく、骨に異常は無いと聴いたと思い込み家に戻った。

次回検診時は、前回医師の話が良く聞き取れなかったので、かみさんに同行してもらい、通訳をしてもらった。何と、骨にひびが入っていたと言ったのだと知った。

以降、病院に行くときは必ずかみさんに付き添ってもらっている。病院の待ち時間は長い。病院に行くたびにカミさんに付き添ってもらうのは心苦しい。

今回は、レントゲンやMRI検査での写真を見ながらの説明であったので、骨折の心配は無いことは、カミさんの通訳なしでも、理解できた。

ぎっくり腰は正式名称は「急性腰痛症」と言うらしいが、即効性のある治療法はないらしい。

薬の服用や湿布で弱くなっているかなとは感じるが消えない。

家に籠りがちで、体を動かすことが少ない生活が、このこの事態を招いたものと自覚して、体をもっと動かすようにしようと、改めて自戒している。

診察後3日目に、家で時々やるストレッチ体操をしてみた。腰の痛みが出ることもなく、いつものように出来たので、ジムに行っても大丈夫かなと考えた。

翌日、試しに久しくやっていなかった散歩をしてみた。40分、数千歩の散歩だが、結構疲れた。しかし、腰が痛むことはなかった。

これなら、明日はジムに行っても良いだろうと楽観したのだが、その夜これまでにないような脚の攣りが起きた。朝起き上がるときには、腰の痛みを感じた。急に運動量を増やしたためかと思い、念のためジムを休んだ。

程度は軽くなったが、腰の痛みが消えず、しかも、痛みの場所が少し変わったように感じる。

インターネット情報を探しても、即効性の解決策は見当たらず、しばらく静養するのが良いと友人知人にも言われ、その通りかもしれぬと模様見をしている。

遂にコロナウィルスに感染2024/08/22 17:18

6月と7月に、立て続けに痛風に襲われたことは前ブログに書いた。

どういう因果か8月には、コロナウィルスに感染してしまった。さらには、歯痛にも悩まされ始めている。

痛風は、8月に入り痛みも弱まり、あまり苦痛を感じなくなったが、当初予定していた、旧盆の墓参りを中止しようかと迷っているうち、子供達が、墓参に参加すると言ってきた。

孫達の参加は得られないが、残る家族全員での墓参りとなるので、それならばと8月13日に総勢7名で墓参りに出掛けた。

結果として、これが夫婦でのコロナウィルス感染を招いてしまった。

息子夫婦と娘夫婦は息子の車で、久里浜に出向き、我々夫婦2人と、娘一人は電車で久里浜に向かい息子に車で迎えに来てもらった。

横須賀の公園墓地墓参りの後、全員で、昼食会をロイヤルホストなるファーストフード店で開いた。盆のせいでかなり混んでいた。

帰宅して2日後の、8月15日何か寒気を感じ、体にだるさも感じられ、床に就いた。翌日寒気も熱も消えず、ベッドに起き上がるのもカミさんの支えがないとできない状況になり、またまた、件のクリニックに出掛けた。何とコロナ感染を宣告された。

インターネット情報を見ると、またコロナウィルス感染が拡大し始めているという。遅ればせながら、遂に感染したかと妙な感慨に浸る。

診断では、すべてのワクチン接種を完了しているので、重症化の可能性は低いだろうとのことで、発熱が強いときの解熱剤、咳、痰を出やすくする薬等を処方された。

実はカミさんにも、我が輩と似たような症状が出ていたのだが、我が輩が処方された薬は彼女が、常々通っている歯科で、処方されているものばかりなので、それで間に合うからと、特段の診察や薬の処方は受けていない。

発病前の1週間で、長時間の外出は墓参り以外ないので、感染はそのときであろうと思われる。

コロナウィルス感染をある友人に知らせたら、次のような、見舞いメールをくれた。

   コロナ感染で問題になっているのは、肺炎等の重症化よりも「後遺
   症」であって、その発症率は約20%、特に、強い倦怠感・ブレインフ
   ォグ等重症で長期(2~4年の例も)に亘るのは約5%(20人に1人)
   と言われています。またクラッシュと言って、急に体が動かなくなる
   現象もあって、治癒後2ヶ月間は、体力を使わない・頭脳的仕事を
   頑張らないことが推奨されています。なお、現状、後遺症の治療は
   確立していません。

これにはいささか驚いた。

インターネット検索をしてみたら、

   ブレインフォグとは新型コロナウイルスの後遺症の一つで、まるで
   頭の中にモヤがかかったようにぼんやりして物事が思い出せない
   状態を指した症状です。

とある。

そのようなことは、診断を受けた医師からは一言も聞いていない。

ともあれ、もうしばらくは、外出や強い運動を控える生活を続けようと思う。

さらにもうひとつ、不具合が起きている。歯茎が痛み出したのである。歯医者に行きたいのだが、コロナ感染もあり、行きつけの歯医者は混んで居り、9月9日まで予約が取れていない。

痛風に悩まされる2024/07/28 16:56

初めて痛風を経験したのは四半世紀以上昔、60歳前でまだ宮仕えをしていたころ。右足母指が痛くなり歩きにくくなった。このときは、症状も軽く病院で薬を処方してもらい、比較的短時日に快癒したと記憶する。

これが、85歳になって再発した。数ヶ月前から、何とはなし右足母指に違和感があり、6月初め内科定期検診の際、医師にそれを告げたのだが、腫れも母指の色も変化がない、尿酸値も基準値の上限ではあるが、基準値内なので様子を見ましょうとなり何もしなかった。

ところが、6月下旬に入り、突然痛みが酷くなり、病院に駆け込んだ。痛風と言われ、薬を3種10日分処方された。それを飲んでいるうち次第に痛みも弱まり、生活に困ることはなくなった。

7月の内科定期検診では、「肉や魚を食べ過ぎたということはないでしょうね」と言われたが、そもそも小食で、間食は一切しない身には全く覚えが無いと応えた。

尿酸値を下げる薬と、痛み止めを平常の内科処方薬に加えて処方してもらったが、痛いときに飲めと言われていた痛み止め薬がなくなった7月下旬にまたまた、激痛が起きた。今度は左足母指である。

夜中に疼いて寝られず、家の中を足を引きずって歩く様になり、週2回のジム通いも止め、気分転換に付き合っていたカミさんの買い物のお供も止め、またまた家に籠る生活になった。

カミさんが薬手帳を調べ、6月に処方された痛風関連薬3種のうち、炎症防止の薬が抜けていることに気づきその所為ではないかという。ともあれ、痛みが一向に引かないので、またまた病院に駆け込んだ。

これまでは、病院へは、片道約2千数百歩を往復歩いていたが、今回は痛くて歩くことが出来ずタクシーで往復した。

今回診てくれた医師も、多分、炎症防止薬がなかった所為でしょうと言い、改めて薬を処方してくれた。

それを飲み始めて、ジム通い、散歩、外出、そしてわずか1合の晩酌も止めて1週間、ようやく、夜中に疼いて寝られないほどの痛みは薄らいできた。

ジムや散歩を再開出来るほどの回復はしてないが、それが近いなと期待する。カミさんの、薬手帳確認と推測に助けられたようである。

老後生活2024/05/26 15:58

85歳になった。父の享年と同じである。

父は、晩年、認知症が進み、熱狂的ファンであるジャイアンツの最初から点差を付けられている試合をテレビで見ながら、「あれ、いつ逆転されたんだ!?」とつぶやくようになっていた。吾輩はそのような認知症の気配は、まだない(と思っている)。

ここまで生きて来られたことは、喜ぶべきこととは思う。静かな老後生活を楽しめる状況にあるというべきでもあろう。だが、なにかしっくりしない気分が抜けない。悠々自適という言葉があるが、とてもそんな生活ではない。

2020年に始まったコロナ禍以降、外出が極端に減り、家にこもるばかりの生活で、博物館・美術館通い、友人との会合・会食、旅行等が出来なくなった。コロナ禍が一段落した現在(2024年)も、そのような外出活動は殆ど回復していない。

現在の日常活動は、eメール交換、パソコンゲーム、インターネット外国語学習、週2回のジム通い、そして、気が向いたときの散歩、散歩しないときのストレッチ体操である。

この中で、一番時間を消費しているのは、パソコンゲームである。パソコンの基本ソフトに付属のトランプ一人遊びゲーム5種を毎日欠かさずやる。中でも、フリーセルなるゲームは、暇があれば直ぐ手を出してしまう。その他にも、新聞に掲載される、「数独」ゲームを週3回はやる。

次いで時間消費の多いのはインターネット外国語講習(英語)である。これも、毎日欠かさずやってる。1日3時間以上やらないと評価レベルとランキングを落とされる。

加えて、週2回のジム通い。高齢化に加えコロナ禍で体を動かすことが激減したためか、足腰の衰えが目立っており、今や必須の活動と肝に銘じ休まないように努力している。

ジム通いのない日で雨の降らない日は、気が向くと、家の近所を散策するが、40分程度、約5千歩を歩くのが精一杯である。散歩しない日は、やはり40分程度のストレッチ体操を家の中でする。

パソコンに向かっている時間の多い毎日、気分転換を図る目的で、毎日かみさんの買い物に付き合っている。往復1~2千歩程度で、運動にはならないが、椅子を離れる活動として、続けている。

これが、日常活動である。

若い頃のように、時間や、体力を気にせず活動する元気はないが、時間を気にせず楽しくやれる趣味のようなものがないこと、そして、あまり人と会話する機会が少ないことが、現在の生活に何かしっくりしないものを感じる理由であろう。

学生時代からの親友が、多発性骨髄腫なる難病と戦っているが、杖をつき、普通に歩くことも難しい生活ながら、川柳をものし、読書に耽り、晩酌を楽しむ静かな生活を続けているのが、何とも羨ましく感じる。

たまにする友人との会食・会合、カミさんとの会話を大切にし、更に新たな趣味の探索に努めたい。

友との会食再開2024/04/12 14:16

学生時代からの友人二人(ITとKG)とは、コロナ禍前は夫婦で定期的に会合・会食したり、年に1回旅行したりしていた。IT夫妻は静岡県御殿場近くに住んで居ることもあり、3組で会食するのは東京で4半期に一度程度であったが、KG夫妻は隣の市に住んでおり、他の月も会食していた。

コロナ禍の最中、近くに住むKG夫妻とは、2020年秋に、我が家で一度会食したが、それ以外は、会食も旅行も途絶えていた。

コロナ禍も一段落した2023年に会合・会食を再開しようと相談し始めた矢先、KGが多発性骨髄腫を罹患・入院となり会食・会合再開は延期となった。

KGが退院後自宅療養を続け、比較的病状が安定する中で、通院時そば店でそばを楽しんでいることや、晩酌、昼酒を楽しんでいると聞き、2020年以来途絶えていた会食を提案した。

そして、この2月にKG夫妻との久しぶりの昼食会を持った。病気のため腰を痛め歩行に杖を必要とするようになり、歩くのがかなりゆっくりとなったが、表情、話しぶり、飲みっ振りは従前と変わらず懐かしく嬉しかった。

その結果、3組での会食も再開しようとなり、3月末に、ほぼ5年ぶりに3組での会食をした。

2019年以前の3組での会合・会食は、東京でしていたが、KGが療養中のため遠出が出来ず、御殿場近くに住むIT夫妻には、はるばる、船橋まで来てもらった。

ITとは、我が身が難聴で電話会話が出来ず、IT夫人とのメール以外の交信が皆無だったので彼の体調は、IT夫人のメールで知るほかなかったが、ITに認知障害が出始めていると聞いていた。

4年以上会ってないので、我が身を覚えていてくれるかと若干不安を感じたが、駅で彼らを迎えた際、ITから「おー、EDか!」と声を掛けられ、ホッとしうれしかった。

駅に隣接するデパートの和食レストランで、3組で懐かしく、楽しく会話・会食・会飲をした。

3組6人全員80歳超で加齢に伴う変化はあるが、会食・会合ができると言うことだけでも、気持ちが豊かになる。

コロナ禍で家に籠りがちの毎日、カミさん以外と会話をする機会が凡そなかったのが、会話ができると言うのは実に楽しい。

会食後KGから、川柳が届いた。

   八十路行く 友と昼めし なごむ時

次回の3組での会食は、半年後くらいにということになった。この2回の会食で、KG家とは、折があれば、月一回くらい会食したいと思い、KGに相談したら、彼も、それを考えていたとの返事があり、4月に昼食会を設定した。

しかし、当日KGの体調不良で中止となった。会食会合の再開もそう簡単ではなさそうだ。彼の体調回復を祈るばかりである。

間もなく85歳になる2024/04/02 17:58

まもなく 85歳になる 。父の 享年と同じである。

苦痛を感じる不調はないものの、体力の衰えは嫌というほど自覚させられており、高齢化に伴う日常行動の変化も感じている。

動きがテキパキとしなくなっている。あれをやらねば、これをやらねばと思いつくのだが、すぐには手をつけない。後で...後で...と先送りする。そのうち 忘れてしまうことも度々で、 思い出してもすぐ手をつけるには至らない。

出歩くことが少なくなり、友人・知人と会う回数も減るばかり。その結果会話が極めて少なくなっている。

家に居るときは、ゲーム、メール送・受信、情報検索、講座視聴、日記記帳、血圧記録作成等々毎日パソコンを長時間使っているが、達成感・充実感のあるパソコン利用は殆どない。

ショートカットキーなどのパソコン利用の小技も思い出せないことが間々ある。すぐメモなど読み返したり、パソコンで情報を探せば良いのだが それも後回しにしてしまう。

認知症の自覚はまだない。年寄じみた言行や振る舞いが出てきているとも感じていない_もしかすると、よそ目には、そのように見え始めているかもしれぬと言う不安はないではないが...。

両親は80歳を超えたころから、認知障害が目立ち始めた。尊敬していた叔父も、90歳で認知症が顕わになった。親友の一人にも認知障害が出ている。

仮に 人生100年としても我が余命は15年しかない。認知障害もなく正常に普通に生き続けるのは、15年は難しいだろう。

最近、隣家の旦那が急死した。 晩酌を飲みながらの夕食中に倒れたとのこと。救急車を呼び、病院に運ぶ途中、救急車の中で息を引き取ったという。

我が身より2歳若く、いつも庭に出て、柿やブドウの栽培その他の庭の手入れ、菊の栽培など、毎日元気に活動していた人である。

友人の多くが、ピンピンコロリを期待すると言っているが、まさに絵に描いたようなピンピンコロリである。

これは、いささか驚いた。友人に驚きをメールしたら、その友人の父上も、食事中に目の前で倒れ急死したという。

この先、普通に、大事なく生きていくことはそう暢気に期待できることではないことを思い知った。

ではどうするかだが、思いつくことは何もない。現在の大事ない生活に満足し、気張らず、静かに、のんびり生きるほかなさそうだ。

もう一人の親友が、多発性骨髄腫なる難病に罹り療養を続けているが、下記のようなメールを送ってきた:

和田秀樹さんという、高齢者対象の医療を専門にしている精神科医の著書で「80歳の壁」という本を読んでいる。
そのなかに ”食事は我慢しない、食べたいものは食べる“、とか ”興味あることは我慢しない、どんどんおやりなさい" 等と書かれている。高齢者の生き方として、なんとなく腑に落ちる感じがしていて、昼酒を楽しむのも良いかな、と感じている。

と言い、

   生きている 昼酒うまい 春うらら

と川柳を送ってきた。

読書をしたり、川柳をものしたり、晩酌の他に昼酒を楽しんだりと難病と闘いながらも、生活を楽しんでいるように見える。

あまり達成感や楽しみのない生活をしているこの身には、何か達観した雰囲気さえも感じられ、相手が、難病を患ってることも忘れ、羨ましくさえ感じる。機会を得て、話を聞きたいと期待している。

白内障手術その後2023/12/10 11:28

7月に白内障手術を受けたあと、視力回復が安定せず、10月まで、様子を見ることになったことは前ブログに書いた。

数年前にたまたま受診した別の眼科、また1年前ほどに、遠近両用のコンタクトレンズ試用ため受診したコンタクトレンズ店近くの眼科で、それぞれ、白内障手術をすれば、コンタクトレンズは要らなくなりますよと言われていた。

しかし、長年検診をしてもらっていた眼科では、まだ手術の必要はないといわれ、そのままにしていたのだが、コンタクトレンズの毎日の手入れが、面倒に感じるようになったので、白内障の進行が見られるのなら、手術をしたいと伝えた。その結果手術となった。しかし術後の視力が安定せず、新しい眼鏡の設計は10月まで延期となった。

手術に先立ち、術後の視力をどこを基本とするかと訊かれ 遠くよりも普段よく使うパソコン や 読書などの視力に合わせるよう 近くに合わせてほしいと応えた。

8月中視力は安定せず、術後の生活に不便なら、日常生活用に眼鏡を調達しても良いと言われ、9月末に通常の近視用眼鏡を近くの眼鏡店で調達した。

10月半ばに近距離用のメガネの作成のための視力測定があり、新聞や本を読むための焦点とパソコンのモニターを見るためのやや 遠方 60cm 先に合わせる焦点との二つがあるメガネが調整された。その結果 遠距離用メガネと近距離用 2焦点メガネの2つを使うことになった。

白内障手術の前に医師に言われていた、白内障手術をすれば、「コンタクトレンズは要らなくなる」は確かに遠距離用眼鏡をかけることで、コンタクトレンズは使わなくなったが、眼鏡を2つ持つことになったのは、期待外れ。だが、毎日のコンタクトレンズの手入れと毎月のコンタクトレンズ購入がなくなったことで良しとする。

この状態で1ヶ月以上を経過したが、パソコンモニターを見るための焦点距離が、やや近すぎて、モニターにある程度顔を近づけなければならないのは残念だが、まずまず、生活に不便はない。

パソコンの OS を替えた2023/09/08 13:01

新しいパソコンを購入したため使わなくなったパソコンのWindowsサポート期限が切れてしまったこと、このパソコンの Windows を無料のOS「Ubuntu」に切り替えて使おうかと考えていることは9月3日のブログ「Win10PCの保障期限切れ」に書いた。

Google 検索で Ubuntu インストール方法の記事を見付けそれに従って上記2台の旧パソコンへの Ubuntu インストールに挑戦したのだが、作成したインストール用USBメモリーが起動しない。

検索した情報に忠実に作業をしたつもりなのだが、何故かインストールが開始しない。数回の試行全てが同じ結果になり、お手上げになり、システムエンジニアをしている息子に援助を求めた。

彼が操作してくれて、2台とも Ubuntu インストールが出来た。

さすが、システムエンジニアと息子の手腕に感服・感謝したのだが、彼の作業を見ていて分かったのは、BIOSをあれこれ操作していることだけで、何を如何しているのか皆目分からなかった。

BIOS設定をWebページの解説通りにしたつもりなのに、Ubuntuインストール用USBメモリーが起動しないので援助を求めたのだが、息子によるインストール完了後、インストールディスクが起動しないことについてGoogle 検索してみたら、いくつか情報が見つかった。

最初から、この検索をしていれば、自力で解決できたかも知れぬとは思うが、時間はかかったことだろう。

インストールした Ubuntu23.04 日本語 Reimix 版を使い始めたが、Windows での操作と多少操作方法が異なるところがあり、これから逐次勉強していかねばならない。

歳とともに、新しいことを学習・習得するのに時間がかかるようになっており、どこまで出来るか不安だが、Office ソフト LibreOffice はある程度使った経験があり、Webページ閲覧とメール交信は、Google Crome を Ubuntu にインストールしたので、当面の作業には困らない。

Ubuntu23.04 を搭載したパソコン2台のうちデスクトップは今後も自分が使うが、ノートパソコンは、パソコンが古くなりメールとWebーページが出きなくなっている友人に譲ろうと考えている。

単に譲るだけでは友人は直ぐ使えない可能性があるので、Ubuntu 起動からブラウザー起動、メール起動と作業手順を実習する機会を提供せねばなるまい。

彼には ISP 契約とインターネット接続を自ら作業してもらわなければならない。たぶんこれも、何らかの援助をする必要があるだろう。

白内障手術を受けた2023/09/06 11:41

7月に白内障手術を受けた。10日に右目、28日に左目を手術した。

最初の右目手術後の検査で、視力の回復が思わしくないことを伝えられ、2回目の左目手術後の検診で視力 右 0.6、左 1.0と言われた。

元々強度の近視で、それに比べればかなりの改善だが、良く見えるようになったわけではない。

左目手術後4週間の検診で、視力の回復が両目共に弱く且つ安定感がないとのことで、さらに1か月様子を見ることになった。

通常は、手術前に近眼であっても、術後は通常視力に回復するものらしいが、我が身の場合はそうなって居ないらしい。

1ヶ月後にどのような結果になるのか、あまり期待はできそうもないが、どのような結論になるか気になる。

恐らく、改めて眼鏡を着用することになることは間違いないだろう、しかも、遠と近の両方を所持しなければならないだろう。