間もなく85歳になる ― 2024/04/02 17:58
まもなく 85歳になる 。父の 享年と同じである。
苦痛を感じる不調はないものの、体力の衰えは嫌というほど自覚させられており、高齢化に伴う日常行動の変化も感じている。
動きがテキパキとしなくなっている。あれをやらねば、これをやらねばと思いつくのだが、すぐには手をつけない。後で...後で...と先送りする。そのうち 忘れてしまうことも度々で、 思い出してもすぐ手をつけるには至らない。
出歩くことが少なくなり、友人・知人と会う回数も減るばかり。その結果会話が極めて少なくなっている。
家に居るときは、ゲーム、メール送・受信、情報検索、講座視聴、日記記帳、血圧記録作成等々毎日パソコンを長時間使っているが、達成感・充実感のあるパソコン利用は殆どない。
ショートカットキーなどのパソコン利用の小技も思い出せないことが間々ある。すぐメモなど読み返したり、パソコンで情報を探せば良いのだが それも後回しにしてしまう。
認知症の自覚はまだない。年寄じみた言行や振る舞いが出てきているとも感じていない_もしかすると、よそ目には、そのように見え始めているかもしれぬと言う不安はないではないが...。
両親は80歳を超えたころから、認知障害が目立ち始めた。尊敬していた叔父も、90歳で認知症が顕わになった。親友の一人にも認知障害が出ている。
仮に 人生100年としても我が余命は15年しかない。認知障害もなく正常に普通に生き続けるのは、15年は難しいだろう。
最近、隣家の旦那が急死した。 晩酌を飲みながらの夕食中に倒れたとのこと。救急車を呼び、病院に運ぶ途中、救急車の中で息を引き取ったという。
我が身より2歳若く、いつも庭に出て、柿やブドウの栽培その他の庭の手入れ、菊の栽培など、毎日元気に活動していた人である。
友人の多くが、ピンピンコロリを期待すると言っているが、まさに絵に描いたようなピンピンコロリである。
これは、いささか驚いた。友人に驚きをメールしたら、その友人の父上も、食事中に目の前で倒れ急死したという。
この先、普通に、大事なく生きていくことはそう暢気に期待できることではないことを思い知った。
ではどうするかだが、思いつくことは何もない。現在の大事ない生活に満足し、気張らず、静かに、のんびり生きるほかなさそうだ。
もう一人の親友が、多発性骨髄腫なる難病に罹り療養を続けているが、下記のようなメールを送ってきた:
和田秀樹さんという、高齢者対象の医療を専門にしている精神科医の著書で「80歳の壁」という本を読んでいる。
そのなかに ”食事は我慢しない、食べたいものは食べる“、とか ”興味あることは我慢しない、どんどんおやりなさい" 等と書かれている。高齢者の生き方として、なんとなく腑に落ちる感じがしていて、昼酒を楽しむのも良いかな、と感じている。
と言い、
生きている 昼酒うまい 春うらら
と川柳を送ってきた。
読書をしたり、川柳をものしたり、晩酌の他に昼酒を楽しんだりと難病と闘いながらも、生活を楽しんでいるように見える。
あまり達成感や楽しみのない生活をしているこの身には、何か達観した雰囲気さえも感じられ、相手が、難病を患ってることも忘れ、羨ましくさえ感じる。機会を得て、話を聞きたいと期待している。
苦痛を感じる不調はないものの、体力の衰えは嫌というほど自覚させられており、高齢化に伴う日常行動の変化も感じている。
動きがテキパキとしなくなっている。あれをやらねば、これをやらねばと思いつくのだが、すぐには手をつけない。後で...後で...と先送りする。そのうち 忘れてしまうことも度々で、 思い出してもすぐ手をつけるには至らない。
出歩くことが少なくなり、友人・知人と会う回数も減るばかり。その結果会話が極めて少なくなっている。
家に居るときは、ゲーム、メール送・受信、情報検索、講座視聴、日記記帳、血圧記録作成等々毎日パソコンを長時間使っているが、達成感・充実感のあるパソコン利用は殆どない。
ショートカットキーなどのパソコン利用の小技も思い出せないことが間々ある。すぐメモなど読み返したり、パソコンで情報を探せば良いのだが それも後回しにしてしまう。
認知症の自覚はまだない。年寄じみた言行や振る舞いが出てきているとも感じていない_もしかすると、よそ目には、そのように見え始めているかもしれぬと言う不安はないではないが...。
両親は80歳を超えたころから、認知障害が目立ち始めた。尊敬していた叔父も、90歳で認知症が顕わになった。親友の一人にも認知障害が出ている。
仮に 人生100年としても我が余命は15年しかない。認知障害もなく正常に普通に生き続けるのは、15年は難しいだろう。
最近、隣家の旦那が急死した。 晩酌を飲みながらの夕食中に倒れたとのこと。救急車を呼び、病院に運ぶ途中、救急車の中で息を引き取ったという。
我が身より2歳若く、いつも庭に出て、柿やブドウの栽培その他の庭の手入れ、菊の栽培など、毎日元気に活動していた人である。
友人の多くが、ピンピンコロリを期待すると言っているが、まさに絵に描いたようなピンピンコロリである。
これは、いささか驚いた。友人に驚きをメールしたら、その友人の父上も、食事中に目の前で倒れ急死したという。
この先、普通に、大事なく生きていくことはそう暢気に期待できることではないことを思い知った。
ではどうするかだが、思いつくことは何もない。現在の大事ない生活に満足し、気張らず、静かに、のんびり生きるほかなさそうだ。
もう一人の親友が、多発性骨髄腫なる難病に罹り療養を続けているが、下記のようなメールを送ってきた:
和田秀樹さんという、高齢者対象の医療を専門にしている精神科医の著書で「80歳の壁」という本を読んでいる。
そのなかに ”食事は我慢しない、食べたいものは食べる“、とか ”興味あることは我慢しない、どんどんおやりなさい" 等と書かれている。高齢者の生き方として、なんとなく腑に落ちる感じがしていて、昼酒を楽しむのも良いかな、と感じている。
と言い、
生きている 昼酒うまい 春うらら
と川柳を送ってきた。
読書をしたり、川柳をものしたり、晩酌の他に昼酒を楽しんだりと難病と闘いながらも、生活を楽しんでいるように見える。
あまり達成感や楽しみのない生活をしているこの身には、何か達観した雰囲気さえも感じられ、相手が、難病を患ってることも忘れ、羨ましくさえ感じる。機会を得て、話を聞きたいと期待している。
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