To live is the sole end of man. ― 2020/01/04 16:39
新聞小説を読んでいて興味深い英語表現を見つけた 。
To live is the sole end of man.
というものである。
夏目漱石が正岡子規に宛てて書いた手紙の中に書いてあるものだそうだ。
日経に連載中の伊集院静による「ミチクサ先生」という小説の中に見つけたもので、子規が病気になった際、漱石が見舞いの手紙を送った中に書いてあるものだそうだ。
気になった表現なので出典が何なのかを知りたくなりインターネットで検索してみたが、漱石が第一高等学校在学時に学友子規に当てた見舞いの手紙にある文章だということ以外、出典が何かという情報は見つからなかった。
漱石は若い頃から英語を勉強しており、英国にも留学したことは知っているが、それより前の若い頃に自らこのような英語文章を作ることがあるだろうかと疑問に思う。
英語の何かの原典があってそこからの引用ではないかと推測したのだが、それらしい情報はインターネットでは得られなかった。
もし漱石が自ら作った文章であるとするならば、学友宛ての見舞いの手紙に、何故、わざわざ、英語の文章を入れなければならなかったのか疑問に思うし、やはり何か原典があるのではないかと今も思っている。
ともあれ、正岡子規と夏目漱石が学友だったことも、初めて知ったし、この文そのものもなかなか味わいのあるものだと思う_後期高齢者になって5年を経過した身がそう感じさせるのだろうか。
また、別の本を読んでいて、面白いなと思う表現を見つけたのでこれも併せ記しておく。
幸福であることは、幸福そうに見えることよりも百倍もやさしいのだ。
何をしなければならないかがわからない限り、何もしないでいることが賢明というものだ。
ジャン・ジャック・ルソー「エミール」
To live is the sole end of man.
というものである。
夏目漱石が正岡子規に宛てて書いた手紙の中に書いてあるものだそうだ。
日経に連載中の伊集院静による「ミチクサ先生」という小説の中に見つけたもので、子規が病気になった際、漱石が見舞いの手紙を送った中に書いてあるものだそうだ。
気になった表現なので出典が何なのかを知りたくなりインターネットで検索してみたが、漱石が第一高等学校在学時に学友子規に当てた見舞いの手紙にある文章だということ以外、出典が何かという情報は見つからなかった。
漱石は若い頃から英語を勉強しており、英国にも留学したことは知っているが、それより前の若い頃に自らこのような英語文章を作ることがあるだろうかと疑問に思う。
英語の何かの原典があってそこからの引用ではないかと推測したのだが、それらしい情報はインターネットでは得られなかった。
もし漱石が自ら作った文章であるとするならば、学友宛ての見舞いの手紙に、何故、わざわざ、英語の文章を入れなければならなかったのか疑問に思うし、やはり何か原典があるのではないかと今も思っている。
ともあれ、正岡子規と夏目漱石が学友だったことも、初めて知ったし、この文そのものもなかなか味わいのあるものだと思う_後期高齢者になって5年を経過した身がそう感じさせるのだろうか。
また、別の本を読んでいて、面白いなと思う表現を見つけたのでこれも併せ記しておく。
幸福であることは、幸福そうに見えることよりも百倍もやさしいのだ。
何をしなければならないかがわからない限り、何もしないでいることが賢明というものだ。
ジャン・ジャック・ルソー「エミール」
コメント
_ 恣意的縊死歩行 ― 2024/10/16 22:32
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その後に時鳥(ホトトギス)で終わる句が二首続きます