ブログ再開2009/09/01 09:32

筆者近影
今年5月までは、OCNのdoblogを使っていた。

昨年3月に記事をアップして以来、ブログ作成を怠っていた。

久しぶりに、記事を書いてアップしようとしたら、このページはありませんと出た。

驚いて、インターネットで調べたら、5月でdoblogを停止したという。

何故その連絡が来てないのかと、訝ったが、ハタと気がついた。メールアドレスを変更したことをdoblogに連絡してなかったようだ。

結局それまでアップした記事が全部、消滅してしまった。

歳とともに、この種ポカが増えてくる。

と言うわけでアサブロで再開という次第。

日記代わりのつもりだが、これまでの日記と同じで、余り頻度多く書けることはないだろう。

いわば、残る人生の記録として書いていきたいと思う。

お袋の入院2009/09/12 22:05

8月17日(月)に母が入院した。以降の状況を、妹弟にメールで知らせていた。

これを、今日からブログに転載する。最初からこうしておけば良かったのだ。気がつくのが遅かった。

8月18日(火)

早速だが、お袋が、昨晩より入院となった。

昨日午後から、肛門が痛いと言いだし、かみさんが、医者からもらった薬を塗ったが、痛みが止まらず、そのうち腹が痛い、吐き気がするとも言い出し、顔色も良くないので、夜間診療(17:30~)に連れて行った。

かみさんの状況説明で、レントゲンとエコー検査をすることになり、その結果、腸閉塞の可能性ありと言うことで、とりあえず一晩の応急入院となった。

今朝、再度病院に行ったところ、やはり継続入院と言うことになった。

肛門が痛いというのは、2ヶ月くらい前からのことで、医者にも伝え、薬はもらっていた。

昨日、当初の診察では、痔ではないかとの診断だったのだが、レントゲンとエコー検査の結果で状況が変わった。

深夜、「病院で、夜ごそごそ動き出すが、人手が足りないため、面倒見切れない」と言うことで、急遽付き添いに呼び出され、かみさんが一晩付き添った。

あまり、楽観はできないと思われるので、連絡だけしておく。

お袋の入院 22009/09/12 22:29

8月20日(木)

今日は、お袋入院後4日目、3時頃様子を見に病室を訪ねた。相変わらず目をつぶり横になっていた。昨日より顔色は良い印象。

耳が遠いのでなかなか意を通じにくいが、ようやく、「忙しいのに来なくても良い」との反応があった。

「早くお迎えが来ればよいのに」などとという。「私たちが迎えに来ます」とかみさんが答えたら、心なし顔がほころんだ。

「興輝に呼ばれてここへ来て、幹子さんに良くしてもらい、こんな幸せなことはない」などと殊勝なことを言う。

しかし、相変わらず目は開かない。

ふと、手土産みたいなものが脇机に置いてあるのに気づく。遠藤靖治と書いてある。

我々が午前中ジムへ出かけていた間に靖治たちが来たのかと推測する。

お袋に「靖治が来たのか」と訊く。「あ、そう」などと要領を得ない。靖治たちが来たのを、覚えてないのかもしれない。

「明日、また来るからね」と言ったら、「忙しいのに無理せんでいい」などという。それでも目は開かない。

ともあれ、会話ができたことで、多少安心する。

ところで、靖治、見舞いに来るのはよい。一言連絡もらう方がありがたい。我々が出かけていた間に電話があったかと想像したがそれもなかったようだな。

いろいろ都合があってのことかも知れぬがそれくらいのことしない理由はないだろう。ともあれ、見舞いは感謝する。

念のためだが、お袋は左の耳はほとんど聞こえない。右耳に口を寄せある程度大きな声で話せば通じる。

お袋の入院 32009/09/12 22:36

8月21日(木)

反田家が、理恵ちゃんとお子さん二人を連れ5人で見舞いに来た。

反田家が、我が家から帰った後、かみさんと二人で、見舞いに行った。

相変わらず横になっており、声をかけると医者か看護師と勘違いする。
目を開けない。

反田家が大勢で見舞ったこともあまり定かには覚えてない気配。こちらの声が良く聞き取れないのかも知れない。

お袋の入院 42009/09/12 22:47

8月22日(土)

午前中、定期検診で病院へ。

いつも診てくれる医者が、お袋を定期検診で診てくれている医者でもあり、かつ月曜日お袋を病院に連れて行ったとき診てくれた医者でもある。

その医者が、良く今まで持ちましたよねと言う。今度のことがなくても、もっと前に何か起こっておかしくなかったという意味。

医者がそう言う理由がある。BNP値なるもの、平常が、18.4以下。お袋は、これが2年前、703.1。昨年、814.81。そして今年5月、1443.5。重病の心不全に等しいという。

午後、文美と奈美が見舞いに行くと言うことで4人で病院へ。やはり、横になっており、目は開けないが、どうもありがとうと礼を言う。

なぜか、靖治は?と言った。

我々の声を聞き違えたのか、何か思い出したのかわからない。一昨日、靖治が見舞いに来たよと言うと、「あ、そう」。

何も口に入れてないこともあるだろうが、また一つ元気がなくなった印象。

お袋の入院 52009/09/12 22:52

8月23日(日)

相変わらず横になり目を開けない。しゃべるのもだるいという。そういいながら、まだお迎えが来ないなどと言う。

文美と奈美が持ってきた花を見ないかと声をかけると、目を開けるのもだるいと言う。

月曜日に入院して今日で、1週間となる。日々弱っていくように感じる。胸が痛む。

水曜日に看護師からもらった医者の診断書には、入院中急変する可能性があると書いてある。

せいぜい、毎日見舞いに行き、声をかけてやりたいと思う。それしかしてやることがないのがむなしく、悲しい。

お袋の入院 62009/09/12 22:57

8月24日(月)

3時過ぎ、かみさんと二人でお袋を見舞う。今日も、横になり、すやすやと寝ている。
 
オキテルだと声をかけると、ありがとうと答える。しゃべれるかと訊くとしゃべれるという。目はやはり開けない。上下がくっついてしまったように目を閉じている。眠いのか反応は鈍い。

貸しおむつを使ったと書き置きがある。かみさんが持ってきていたものではなく大型のものを使った様子。つまり、立ち上がって用を足すことができなくなっていると言うことらしい。
 
顔色は、心なし、昨日より良いように見える。しかし、腫れぼったい。
 
看護師が見に来て、胃から鼻を通して排出している体液の色が澄んできているという。良い兆候らしいが、余り期待は持てない。
 
反応が鈍いので、また明日来ると言って退出。

お袋の入院 72009/09/12 23:02

8月25日(火)

靖治たちが見舞いすると聞いていたので、2時45分頃かみさんが病院に行った。小生は、出先から、3時15分くらいに病院に行った。

靖治たちの姿はない。かみさんも会ってないという。まだ来てないと考え、お袋に、今日は靖治が来るよと声をかけたら、あ、そうという。

かみさんは医者に会うことができたという。通じが出るかも知れない。仮に出ても、家に戻るのは無理だろうと言ったとのこと。

顔色は昨日と変わらぬが、今日は余りしゃべる気にはならないようだ。
目は、もう開かないという感じにぴったりとしめられている。

少し遅いと感じ、かみさんが靖治の携帯に電話する。帰りの電車の中だったという。かみさんが病院に着く前に、病院を出たと言うことだ。

靖治たちも、余り話ができなかったらしい。

お袋の入院 82009/09/12 23:05

8月27日(木)

3時過ぎ病院に。隣の真ん中のベッドの老人がいなくなっていた。

オキテルだよと声をかけたら、たびたび来てくれてありがとうという。目は開かないかという聞くと、開けられるけど、開けたくないという。

そのうちお茶をいっぱいちょうだいと言い出した。夢でも見たのだろうか。やりたいのは山々だが、医師に無断で出す訳にはいかない。そのうちすやすやと寝息。

幹子がが声をかけたら、どなたという。幹子ですと答えると、ああ幹子さんありがとうという。昨日靖治さんが来たの覚えてる?と聞くと、首を横に振る。

目を開けてみたらと言うと、今度は、くっついてしまって開かないのよとの答え。

昨日より、むくみは軽いかなという印象。

昨日よりは口数多くしゃべった。

お袋の入院 92009/09/12 23:10

8月28日(金)

3時半過ぎ見舞い。隣(真ん中)のベッドに別の人が入った。

オキテルですと声をかけると、ありがとうという。

余りしゃべりたくないかと訊くと、首を縦に振る。分かっての返事かどうか確信持てない。

幹子が、目は開けられないかと訊くと開けられるけど開けたくないのと昨日と同じ答え。眠いようで余り反応が良くない。

むくみは今日も感じない。

幹子が、指輪が外れていることに気づく。ベッドの近辺を探したが見あたらない。

余り話したくない様子なので、また来るよと声をかけ部屋を出る。

出るとき看護師に、指輪のことを訊く。むくみが出て、外れなくなりそうだったので、外したとのこと。その指輪を返してもらう。

エレベーターを待っていたら、デイケアサービスでボランティアをしている方の見舞いを受ける。お袋のベッドの脇でしばらくかみさんと話す。