HTML/CSS学習一歩前進 ― 2017/10/01 20:04
ホームページ作成を始めたのは、18年前。
ボランティアとして参加していたわが町のあるボランティア団体のホームページを立ち上げようという先輩ボランティアの提言に賛同した結果、作業担当者にされてしまい、ホームページ立ち上げを事実上一人で作業したのが最初である。
何の知識・技能もない中、FrontPageなるソフトを参考書を頼りに独習して何とか作り上げ、起ち上げた。
その後、大学同級会、友人の起ち上げた鍼灸院など、分不相応に引き受け、ホームページ作成は手慣れたものになったように自惚れていた。
しかし、ホームページの標準化が進む中、使っていたソフトFrontPageが開発終了になり、HTMLに準拠した新たなソフトExpressionWebが、発売された。同じ開発元のソフト故、習得しやすいだろうと期待したが、これが、そう簡単ではなかった。
ExpressionWebの新バージョンが出る都度、分かりやすくなっているのではないか、便利になっているのではないかと期待し、買い求めたが、学習が簡単でないのは変わらなかった。
このソフト、あまり売れなかったのか、開発が停止され、無料ソフトになった。
ともあれ、きちんと学習しないと、身につかないことを痛感し、インターネットであれこれと、参考書や学習ページを当たり始めた。
所属する通信教育のHTML実習講座にも参加した。実習の手順に従い進める限り、上手く進むのだが、終わってみると自分がしたいことをやるのには、理解が十分でないことを確認するだけに終わってしまう。
HomePage Builderも買い求め、参考書も購入して試したが、操作画面がFrontPageと異なるため何か馴染めない。
結局、ExpressionWebを使いながら、やっていることは、以前のFrontPageの操作のままという形で、お茶を濁してWebページの更新を続けていた。
昨年、長年主宰してきたパソコンクラブを退き、それで出来る時間をHTML/CSSの学習に当て、自分のホームページと作成を担当している大学同級会のそれとを作り直そうと意気込んだ。
そして、インターネットの或る学習ページに従って、学習を開始した。だが、やはり、期待するほどには進まない。1年3ヶ月を経過したが、何も形にできたものがない。
このままでは、歳のせいにして、諦めてしまいそうな自分自身に腹が立ち、新たな行動を起こそうと考えた。
自分の怠け癖を棚上げして言うようで気が引けるが、インターネットでの学習は、実習には向かないように感じる。画面操作に気を取られ、書いて有ることを実地に作業するのが、億劫になってしまう。
講習会に参加することも考えたが、難聴がひどいので、講師の喋り方次第では、金の無駄遣いになりかねない。
そこで、全くの初心者のための参考書で、1から出直すことにした。インターネット情報で、「これから、始めるHTML & CSS」を見つけ、発注した。大正解であった。
書籍を手にした1週間後には、意図したホームページのトップページともう1ページを作り替えることができた。そしてもう一つの新たなページの制作作業を開始している。
この本の丁寧な作業手順に沿って、サンプルホームページを作成し、成果を確認して行く作業を通じて、HTMLとCSSの関係や、書き分けの基本が、体感・理解できたように思う。
1年3ヶ月も、1ページすら制作できない状況にイライラしながら、そのイライラから逃げて、益々、何も進まないという状況だったのが一変した。
当然のことながら、HTML/CSSの知識や利用技はまだまだ初心者のままである。しかし、HTMLとCSSの役割や書き分けの仕方が見えてきたのが嬉しい。
インターネットで、分からないことの情報を探しても、実際に作業する段階でどう手を付けたら良いのか分からない状況だったのが、手がつけられるようになった。
自分のページを自分で作れる喜びを感じる。そして、それが、HTML/CSSの技習得得に必ず役立つと期待している。
所謂学習曲線(Experience Curve)上昇の変曲点に差し掛かったと感じている。
この書籍に感謝!、感謝!である。
ボランティアとして参加していたわが町のあるボランティア団体のホームページを立ち上げようという先輩ボランティアの提言に賛同した結果、作業担当者にされてしまい、ホームページ立ち上げを事実上一人で作業したのが最初である。
何の知識・技能もない中、FrontPageなるソフトを参考書を頼りに独習して何とか作り上げ、起ち上げた。
その後、大学同級会、友人の起ち上げた鍼灸院など、分不相応に引き受け、ホームページ作成は手慣れたものになったように自惚れていた。
しかし、ホームページの標準化が進む中、使っていたソフトFrontPageが開発終了になり、HTMLに準拠した新たなソフトExpressionWebが、発売された。同じ開発元のソフト故、習得しやすいだろうと期待したが、これが、そう簡単ではなかった。
ExpressionWebの新バージョンが出る都度、分かりやすくなっているのではないか、便利になっているのではないかと期待し、買い求めたが、学習が簡単でないのは変わらなかった。
このソフト、あまり売れなかったのか、開発が停止され、無料ソフトになった。
ともあれ、きちんと学習しないと、身につかないことを痛感し、インターネットであれこれと、参考書や学習ページを当たり始めた。
所属する通信教育のHTML実習講座にも参加した。実習の手順に従い進める限り、上手く進むのだが、終わってみると自分がしたいことをやるのには、理解が十分でないことを確認するだけに終わってしまう。
HomePage Builderも買い求め、参考書も購入して試したが、操作画面がFrontPageと異なるため何か馴染めない。
結局、ExpressionWebを使いながら、やっていることは、以前のFrontPageの操作のままという形で、お茶を濁してWebページの更新を続けていた。
昨年、長年主宰してきたパソコンクラブを退き、それで出来る時間をHTML/CSSの学習に当て、自分のホームページと作成を担当している大学同級会のそれとを作り直そうと意気込んだ。
そして、インターネットの或る学習ページに従って、学習を開始した。だが、やはり、期待するほどには進まない。1年3ヶ月を経過したが、何も形にできたものがない。
このままでは、歳のせいにして、諦めてしまいそうな自分自身に腹が立ち、新たな行動を起こそうと考えた。
自分の怠け癖を棚上げして言うようで気が引けるが、インターネットでの学習は、実習には向かないように感じる。画面操作に気を取られ、書いて有ることを実地に作業するのが、億劫になってしまう。
講習会に参加することも考えたが、難聴がひどいので、講師の喋り方次第では、金の無駄遣いになりかねない。
そこで、全くの初心者のための参考書で、1から出直すことにした。インターネット情報で、「これから、始めるHTML & CSS」を見つけ、発注した。大正解であった。
書籍を手にした1週間後には、意図したホームページのトップページともう1ページを作り替えることができた。そしてもう一つの新たなページの制作作業を開始している。
この本の丁寧な作業手順に沿って、サンプルホームページを作成し、成果を確認して行く作業を通じて、HTMLとCSSの関係や、書き分けの基本が、体感・理解できたように思う。
1年3ヶ月も、1ページすら制作できない状況にイライラしながら、そのイライラから逃げて、益々、何も進まないという状況だったのが一変した。
当然のことながら、HTML/CSSの知識や利用技はまだまだ初心者のままである。しかし、HTMLとCSSの役割や書き分けの仕方が見えてきたのが嬉しい。
インターネットで、分からないことの情報を探しても、実際に作業する段階でどう手を付けたら良いのか分からない状況だったのが、手がつけられるようになった。
自分のページを自分で作れる喜びを感じる。そして、それが、HTML/CSSの技習得得に必ず役立つと期待している。
所謂学習曲線(Experience Curve)上昇の変曲点に差し掛かったと感じている。
この書籍に感謝!、感謝!である。
孫と酒坏を酌み交わした ― 2017/10/27 14:23
孫が二十歳の誕生日を迎えた。
二十歳になったら、おじいちゃんと酒を飲みたいと言っていたと聞き楽しみにしていた。
誕生日当日は来ず、8日ほど後に家族と我が家に来た。
何と!親の気遣いであろう、酒は白ワインを持参してきた。
日本酒にしようか、最初はビールで乾杯しようかとあれこれ考えていたが、持ってきた白ワインで、乾杯し、息子(父親)と我がカミさんと小生との4人で飲んだ。嫁(母)は帰りの車の運転があるので飲まず。
誕生日以降何回飲んだと訊いたら2回だという。酒の飲み方を講釈するつもりで居たが、何かそういう雰囲気にならず寿司を口に運びながらワインを飲む形になった。
孫の飲むペースが意外に早い。
これから、何回も盃を酌み交わすことができそうで楽しみだ。
孫のためというわけではないが、折りに触れ、気分を変えるために、日本酒の他、カンパリ、ハーブ酒、ボックス赤ワイン、スクリュードライバーのためのウォッカ、缶ビールと揃えてあり、それぞれ、試してもらおうと期待していたが、次回以降の楽しみとなった。
こちらが高齢な上、難聴で会話がスムースでないので、孫があまりその気にならなさそうなのが心配だ。
二十歳になったら、おじいちゃんと酒を飲みたいと言っていたと聞き楽しみにしていた。
誕生日当日は来ず、8日ほど後に家族と我が家に来た。
何と!親の気遣いであろう、酒は白ワインを持参してきた。
日本酒にしようか、最初はビールで乾杯しようかとあれこれ考えていたが、持ってきた白ワインで、乾杯し、息子(父親)と我がカミさんと小生との4人で飲んだ。嫁(母)は帰りの車の運転があるので飲まず。
誕生日以降何回飲んだと訊いたら2回だという。酒の飲み方を講釈するつもりで居たが、何かそういう雰囲気にならず寿司を口に運びながらワインを飲む形になった。
孫の飲むペースが意外に早い。
これから、何回も盃を酌み交わすことができそうで楽しみだ。
孫のためというわけではないが、折りに触れ、気分を変えるために、日本酒の他、カンパリ、ハーブ酒、ボックス赤ワイン、スクリュードライバーのためのウォッカ、缶ビールと揃えてあり、それぞれ、試してもらおうと期待していたが、次回以降の楽しみとなった。
こちらが高齢な上、難聴で会話がスムースでないので、孫があまりその気にならなさそうなのが心配だ。
リッチャンが亡くなった ― 2017/10/28 17:45
大学に入学した折、仙台で一緒に下宿を探し、同じ下宿に住んだ友人が、学生生活が始まって間もなく、近くに住む女子中学生3人に、高校受験のための勉強を教えるアルバイトを見つけてきた。
そのうちの一人リッチャンの家庭に、友人が時折呼ばれ、御馳走になっていたが、ある時、お前も一緒に来いと連れていかれ、夕食と晩酌をごちそうになった。大変、温かいご家庭で、ご祖母、ご両親、姉上夫婦とお子様2人、もうひとりの姉上、という大家族であった。
その後も、このご家庭に、友人にお供してお邪魔し、ご馳走になる機会を得ていたが、リッチャンが高校に入ってからは、友人と2人で、高校の勉強の援助をボランティア的に引き受ける形になった。ボランティアという理由は、謂わば度々ごちそうになることのお返しのようなものであった。
このような関係は、リッチャンが高校を卒業し、社会人になるまで続いた。
大学卒業で、友人と小生は就職で仙台を離れたが、リッチャンは、大手電機メーカーの仙台支社に入社した。
友人は大学卒業後、すぐ、学生時代からの付き合いの女性と結婚し、その結婚式の司会を頼まれ、務めた。この結婚式にはリッチャンも出席した。
そんなことで、友人の奥さんのご両親から、お見合いの話を頂くようになったが、リッチャンからも、彼女の会社の先輩である女性を紹介された。それが現在の我がカミさんである。つまり、リッチャンは我々夫婦の月下氷人である。
小生らが結婚する1ヶ月前に、リッチャンは、地元の新聞社の青年KUさんと結婚した。
その後しばらくは、年賀状の交換と、仙台に行った折会うという付き合いを続けていた。
たまたま、上記の友人と、もう一人、大学時代の共通の友人と夫婦3組で年に何回か会食するようになり、3人が宮仕えを終える頃には、年に一度、伊豆の温泉に泊りがけで、出かけるようになっていた。
2003年、この旅行に、リッチャン夫婦も誘おうということになり、以来、毎年参加してもらっていた。
2011年と2013年には、リッチャンのご主人KUさんの手配で、山形を旅行した。昨年は、霞ヶ浦、鹿島神宮などを旅行したが、その折、KUさんが、歩行に難をきたしているのを見た。何と、難病、進行性核上性麻痺の初期の症状だった。
今年、2017年は、KUさんの体調を考え、平泉に旅行し、帰途、仙台近くに寄り、そこで、KUさん・リッチャン夫妻にも参加してもらい我々夫婦とリッチャン夫婦の金婚式を祝う計画をした。そしてKUさんの手配で、秋保温泉を手配してもらっていた。
その矢先、予定の17日前に、KUさんより、リッチャンが倒れ入院したと電話があった。くも膜下出血で、昏睡状態とのことだった。
カミさんが、「KUさんの話では、植物人間状態だと言ってたわよ」という。ドキッとした。20年以上も前、従兄弟が脳梗塞で倒れ、植物人間状体になり、その数日後に息をひとったことを思い出した。
また、2010年には、会社時代の同僚で先輩でもあるAIさんが、脳溢血で倒れ、やはり昏睡状態のまま数日後に亡くなっている。
嫌なことを思い出したと思ったが、口には出さず、胸にしまっておいた。
そして、5日後、KUさんから電話で、リッチャンが亡くなったと知らされた。
通夜と告別式に参加した。棺に眠るリッチャンは綺麗だった。通夜の写真も、彼女の人柄・性格を見事に映し出す素晴らしい写真であった。一方KUさんは、車椅子で挨拶していた。リッチャン逝去による心の痛みもあってか、以前に比べ、痩せ、やつれた印象だった。
リッチャンは、生前、お嬢さんたちがが働いていることもあり、子供(孫)たちをずっと面倒見てきていたという。高齢者の姉上の世話もしていたという。そして、2年前からは、ご主人KUさんの世話も加わった。
KUさんは、世話をしてくれる人が居なくなり、これから大変だろうと気になる。
合掌。
そのうちの一人リッチャンの家庭に、友人が時折呼ばれ、御馳走になっていたが、ある時、お前も一緒に来いと連れていかれ、夕食と晩酌をごちそうになった。大変、温かいご家庭で、ご祖母、ご両親、姉上夫婦とお子様2人、もうひとりの姉上、という大家族であった。
その後も、このご家庭に、友人にお供してお邪魔し、ご馳走になる機会を得ていたが、リッチャンが高校に入ってからは、友人と2人で、高校の勉強の援助をボランティア的に引き受ける形になった。ボランティアという理由は、謂わば度々ごちそうになることのお返しのようなものであった。
このような関係は、リッチャンが高校を卒業し、社会人になるまで続いた。
大学卒業で、友人と小生は就職で仙台を離れたが、リッチャンは、大手電機メーカーの仙台支社に入社した。
友人は大学卒業後、すぐ、学生時代からの付き合いの女性と結婚し、その結婚式の司会を頼まれ、務めた。この結婚式にはリッチャンも出席した。
そんなことで、友人の奥さんのご両親から、お見合いの話を頂くようになったが、リッチャンからも、彼女の会社の先輩である女性を紹介された。それが現在の我がカミさんである。つまり、リッチャンは我々夫婦の月下氷人である。
小生らが結婚する1ヶ月前に、リッチャンは、地元の新聞社の青年KUさんと結婚した。
その後しばらくは、年賀状の交換と、仙台に行った折会うという付き合いを続けていた。
たまたま、上記の友人と、もう一人、大学時代の共通の友人と夫婦3組で年に何回か会食するようになり、3人が宮仕えを終える頃には、年に一度、伊豆の温泉に泊りがけで、出かけるようになっていた。
2003年、この旅行に、リッチャン夫婦も誘おうということになり、以来、毎年参加してもらっていた。
2011年と2013年には、リッチャンのご主人KUさんの手配で、山形を旅行した。昨年は、霞ヶ浦、鹿島神宮などを旅行したが、その折、KUさんが、歩行に難をきたしているのを見た。何と、難病、進行性核上性麻痺の初期の症状だった。
今年、2017年は、KUさんの体調を考え、平泉に旅行し、帰途、仙台近くに寄り、そこで、KUさん・リッチャン夫妻にも参加してもらい我々夫婦とリッチャン夫婦の金婚式を祝う計画をした。そしてKUさんの手配で、秋保温泉を手配してもらっていた。
その矢先、予定の17日前に、KUさんより、リッチャンが倒れ入院したと電話があった。くも膜下出血で、昏睡状態とのことだった。
カミさんが、「KUさんの話では、植物人間状態だと言ってたわよ」という。ドキッとした。20年以上も前、従兄弟が脳梗塞で倒れ、植物人間状体になり、その数日後に息をひとったことを思い出した。
また、2010年には、会社時代の同僚で先輩でもあるAIさんが、脳溢血で倒れ、やはり昏睡状態のまま数日後に亡くなっている。
嫌なことを思い出したと思ったが、口には出さず、胸にしまっておいた。
そして、5日後、KUさんから電話で、リッチャンが亡くなったと知らされた。
通夜と告別式に参加した。棺に眠るリッチャンは綺麗だった。通夜の写真も、彼女の人柄・性格を見事に映し出す素晴らしい写真であった。一方KUさんは、車椅子で挨拶していた。リッチャン逝去による心の痛みもあってか、以前に比べ、痩せ、やつれた印象だった。
リッチャンは、生前、お嬢さんたちがが働いていることもあり、子供(孫)たちをずっと面倒見てきていたという。高齢者の姉上の世話もしていたという。そして、2年前からは、ご主人KUさんの世話も加わった。
KUさんは、世話をしてくれる人が居なくなり、これから大変だろうと気になる。
合掌。
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