Free Cell ― 2018/09/07 18:55
Windowsパソコンには、一人遊びのカードゲームSolitaireが5つ組み込まれている。
その中に、Windowsに当初から組み込まれていたFree Cellがあり、これは、当初から楽しんでおり、20年以上前の話だが、259連勝をして喜んだ記憶がある。
1昨年Windows10への無償アップグレードをしてから再び遊び始め、以降ほぼ毎日10題以上挑戦している。現在、累計15,000戦を超えた。解けなかったのは8題で、勝率99.94%+である。
8敗した直後は、勝率がかろうじて99.93%ギリギリを維持しており、その後3,500連勝以上して現在の戦績になっている。
以前の259連勝で喜んでいたのとは大違いである。
何故このような戦績になったかというと、現在のFree Cellは戦況が不利になった時に、手を戻すことができるようになっており、極端な場合、最初の一手まで戻ることができる。一手ずつ戻すのではなく、最初からやり直すことも可能だが、それだと負けに数えられてしまう。
もう一ツ、Free Cellには絶対に解けない問題がいくつかあって、それに出会ってしまうと負けとなるほかないのだが、新しいゲームでは、解決不能な問題は表示しないことになっている。
この2つが、3500連勝もできる背景である。と言う次第で、今は、あと1,000連勝をして、16,000戦8敗 勝率99.95%にすることを目標にして楽しんでいる。
どうでも良いお遊びのことではあるが、我ながら、快調に連勝が続いているので、記録しておく気になった。
その中に、Windowsに当初から組み込まれていたFree Cellがあり、これは、当初から楽しんでおり、20年以上前の話だが、259連勝をして喜んだ記憶がある。
1昨年Windows10への無償アップグレードをしてから再び遊び始め、以降ほぼ毎日10題以上挑戦している。現在、累計15,000戦を超えた。解けなかったのは8題で、勝率99.94%+である。
8敗した直後は、勝率がかろうじて99.93%ギリギリを維持しており、その後3,500連勝以上して現在の戦績になっている。
以前の259連勝で喜んでいたのとは大違いである。
何故このような戦績になったかというと、現在のFree Cellは戦況が不利になった時に、手を戻すことができるようになっており、極端な場合、最初の一手まで戻ることができる。一手ずつ戻すのではなく、最初からやり直すことも可能だが、それだと負けに数えられてしまう。
もう一ツ、Free Cellには絶対に解けない問題がいくつかあって、それに出会ってしまうと負けとなるほかないのだが、新しいゲームでは、解決不能な問題は表示しないことになっている。
この2つが、3500連勝もできる背景である。と言う次第で、今は、あと1,000連勝をして、16,000戦8敗 勝率99.95%にすることを目標にして楽しんでいる。
どうでも良いお遊びのことではあるが、我ながら、快調に連勝が続いているので、記録しておく気になった。
方丈記と徒然草 ― 2018/09/17 21:34
放送大学で、「方丈記と徒然草」を受講したことがきっかけで、高校時代に買った参考書「改稿徒然草詳解」を読み直し、「すらすら読める方丈記」を図書館から借りて読み、最近出た新書「兼好法師」(副題「徒然草に記されなかった真実」)を購入して読んだ。
受講科目「方丈記と徒然草」の教科書は、試験もあるので、数度読んだと思う。「すらすら読める方丈記」と新書「兼好法師」もそれぞれ2回読んだ。
いずれも、学生時代古文が大嫌いであったことが嘘のように大変興味深く熟読した。
これらを読んで知ったことは、「徒然草」の注釈書は、江戸時代に多数出版されていること、そして現在もなお膨大な論文や注釈書が発表されていることだ。昭和42年以降の半世紀で、2,300篇もの論文が発表されているという。
とすれば、高校時代の参考書「改稿徒然草詳解」は大正8年の上梓のものを門弟の方が、昭和29年に改稿して出版したものであり、昭和29年からでも64年も経った今、色々新しい事実も発見されていることだろう。改めて、最新の注釈書を読んでみたいと思う。
方丈記については、何も調べてないが、おそらく同じことが言えるのではないか。
「すらすら読める方丈記」は実に読みやすかった。方丈記の出だし、「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例しなし 世の中にある人と栖とまたかくのごとし」はたしかに心に残る名文だと思う
方丈記の末尾の文章は、著者の言うよう、何か、唐突な、それまで言ってきたことを突然否定するような印象があるが、著者の解説が素晴らしいと思った。
痛く感動して、自分の書架にこの本を置いておきたいと思い、購入した。
徒然草には、序段の「徒然なるままにひぐらし硯に向かいて...」が有名だが、他にも人口に膾炙したいろいろな名文句があるのを実感した。
面白いなと思ったのは、
・「人 死をにくまば、生を愛すべし」「生を楽しまざるは、死を恐れざるゆえなり、死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり」(第93段)
・「死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり」(第155段)
・「よろずのことは頼むべからず」(第211段)
気になったのは、第40段、「大変器量の良い娘がいて、たくさんの男が結婚を申し込みに来たが、この娘が栗ばかり食べて、穀類を一切食べなかったので、親が、こんな風変わりな娘は夫など持つべきではないと言って承知しなかった」と言う話がある。
何を言いたくてこのようなこと書いたのだろうかといぶかるのだが、我が高校時代の参考書の「評説」は、「単にこういう奇聞の事実を書いただけ」とそっけない。
一方、教科書「方丈記と徒然草」では、小林秀雄のエッセイを紹介し、徒然草を「空前の批評家の魂が出現した文学史上の大きな事件」と絶賛し、「徒然なる心が、どんなにたくさんのことを感じ、どんなにたくさんのことを言わずに我慢したか」と述べ、論の最後にこの第40段を全文掲載しているという。
だが、小林秀雄は、この段で兼好が言わなかったことが何であるかを言わずに筆を置いているという。
教科書の著者自身は、この娘は「狭い自分ひとりの世界に閉ざされた兼好の自画像」だと感じるという。また、禅問答の公案だと思うともいう。そんなものかなと思う。つまり納得しきれてない。
新書「兼好法師」は、巷に流布している「兼好は京都吉田神社の神職である卜部家に生まれ、六位蔵人・差兵衛佐となり、朝廷に仕えた後出家して「徒然草」を著す」という通説をでっち上げであると断定する。
神道吉田流の中心人物が、自身が構築した神道体系の権威を高め、吉田家の家格を上げるために、当時有名になっていた兼好を一家の系図の中にとりこんだという。
それを、古文書などを詳細に調べて検証している。兼好、実名は卜部兼好で仮名(「けみょう」と読むらしい:江戸時代以前に便宜的に使った通称とのこと)「四郎太郎」と言った記録があるとのこと。
鴨長明にせよ、兼好にせよ、仏道を極めるべく遁世したわけではなさそうなことになにかホッとする。
受講科目「方丈記と徒然草」の教科書は、試験もあるので、数度読んだと思う。「すらすら読める方丈記」と新書「兼好法師」もそれぞれ2回読んだ。
いずれも、学生時代古文が大嫌いであったことが嘘のように大変興味深く熟読した。
これらを読んで知ったことは、「徒然草」の注釈書は、江戸時代に多数出版されていること、そして現在もなお膨大な論文や注釈書が発表されていることだ。昭和42年以降の半世紀で、2,300篇もの論文が発表されているという。
とすれば、高校時代の参考書「改稿徒然草詳解」は大正8年の上梓のものを門弟の方が、昭和29年に改稿して出版したものであり、昭和29年からでも64年も経った今、色々新しい事実も発見されていることだろう。改めて、最新の注釈書を読んでみたいと思う。
方丈記については、何も調べてないが、おそらく同じことが言えるのではないか。
「すらすら読める方丈記」は実に読みやすかった。方丈記の出だし、「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例しなし 世の中にある人と栖とまたかくのごとし」はたしかに心に残る名文だと思う
方丈記の末尾の文章は、著者の言うよう、何か、唐突な、それまで言ってきたことを突然否定するような印象があるが、著者の解説が素晴らしいと思った。
痛く感動して、自分の書架にこの本を置いておきたいと思い、購入した。
徒然草には、序段の「徒然なるままにひぐらし硯に向かいて...」が有名だが、他にも人口に膾炙したいろいろな名文句があるのを実感した。
面白いなと思ったのは、
・「人 死をにくまば、生を愛すべし」「生を楽しまざるは、死を恐れざるゆえなり、死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり」(第93段)
・「死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり」(第155段)
・「よろずのことは頼むべからず」(第211段)
気になったのは、第40段、「大変器量の良い娘がいて、たくさんの男が結婚を申し込みに来たが、この娘が栗ばかり食べて、穀類を一切食べなかったので、親が、こんな風変わりな娘は夫など持つべきではないと言って承知しなかった」と言う話がある。
何を言いたくてこのようなこと書いたのだろうかといぶかるのだが、我が高校時代の参考書の「評説」は、「単にこういう奇聞の事実を書いただけ」とそっけない。
一方、教科書「方丈記と徒然草」では、小林秀雄のエッセイを紹介し、徒然草を「空前の批評家の魂が出現した文学史上の大きな事件」と絶賛し、「徒然なる心が、どんなにたくさんのことを感じ、どんなにたくさんのことを言わずに我慢したか」と述べ、論の最後にこの第40段を全文掲載しているという。
だが、小林秀雄は、この段で兼好が言わなかったことが何であるかを言わずに筆を置いているという。
教科書の著者自身は、この娘は「狭い自分ひとりの世界に閉ざされた兼好の自画像」だと感じるという。また、禅問答の公案だと思うともいう。そんなものかなと思う。つまり納得しきれてない。
新書「兼好法師」は、巷に流布している「兼好は京都吉田神社の神職である卜部家に生まれ、六位蔵人・差兵衛佐となり、朝廷に仕えた後出家して「徒然草」を著す」という通説をでっち上げであると断定する。
神道吉田流の中心人物が、自身が構築した神道体系の権威を高め、吉田家の家格を上げるために、当時有名になっていた兼好を一家の系図の中にとりこんだという。
それを、古文書などを詳細に調べて検証している。兼好、実名は卜部兼好で仮名(「けみょう」と読むらしい:江戸時代以前に便宜的に使った通称とのこと)「四郎太郎」と言った記録があるとのこと。
鴨長明にせよ、兼好にせよ、仏道を極めるべく遁世したわけではなさそうなことになにかホッとする。
高級補聴器視聴 ― 2018/09/19 21:16
50代から難聴が始まり、補聴器を使いはじめた。当初使っていた補聴器の雑音混じりの煩さが我慢できず、退職直後にやや高級な補聴器に変更した。その後、両耳装着にするため買増し、更に、新しい補聴器への買い替えもした。高級な補聴器に変えてから、20年以上になる
その補聴器店で、補聴器の清掃や修理を長年してもらっている。その補聴器店から、新製品の紹介と試聴の案内があった。
つい2-3ヶ月前にも同じような案内があり、試聴させてもらったが、現在のものとあまり変わりがなく、買い換える気は全く起きなかった。補聴器でこれは良いと満足できるものはないと改めて諦め直した。
今回も、同じ結果になるだろうと思いつつ、多少の改良でも確認できるだろうか、言葉が聞き分け難いのが少しは改善されているだろうかと淡い期待を持って店に行ってみた。
「今度のは素晴らしいですよ」と店員が言う。説明を聴きながら、これまでの経験から、言うほどの満足は得られないだろうと予想しつつ、あれこれ視聴させてもらった。
ところが予想外に、良い感じである。自動車が通る大通りでの雑音もうまく制御されており、会話も聞き分けやすいように感じる。発話の方向も識別できる。
スマホとの連携もでき、スマホにかかってきた電話を、補聴器で聞き取ることができるし、会話も聞き取りやすい。最近は、電話の聞き取りがうまく行かず、電話を使うことを避けているのが、これなら使えるかなという気になる。ただし、iPhone しか対応してないという。
コンピュータが内蔵されており、それが、補聴器を使う場所の環境を分析・把握し、調整するのだそうだ。いわゆるAI(人工知脳)が組み込まれているということらしい。
しばらく、自宅で視聴を続けてみますかという。店での試聴だけでは、確信は持てないので、やってみたいと言ったら、1週間貸与してくれた。
1週間の視聴で、感じたのは、現在使用中の自分のものに比べ、はるかに雑音が少なく、テレビの音声や人との会話も遥かに聞き取りやすい。補聴器をつけていることが気にならない。
やっと、期待できる補聴器を試すことができたと喜んでいるのだが、値段が尋常でない。両耳で100万円という。大変気に入った補聴器ではあるが、欲しいとは思っても、買おうという気にはとてもなれない。
現在使用中のものが具合悪くなり、買い換えねばならなくなったら、2つぐらい下の品質の同系の補聴器を買うということしか考えられない。それでも、43万円もする。
補聴器は良いものがないという先入観を払拭できたことを喜び、しばらくしてもう少し安くなることを期待したい。
明日、補聴器を返却する。もとの補聴器に戻して、きっといろいらすることだろうと気が重くなる。
だが、それに慣れて我慢する他ない。
その補聴器店で、補聴器の清掃や修理を長年してもらっている。その補聴器店から、新製品の紹介と試聴の案内があった。
つい2-3ヶ月前にも同じような案内があり、試聴させてもらったが、現在のものとあまり変わりがなく、買い換える気は全く起きなかった。補聴器でこれは良いと満足できるものはないと改めて諦め直した。
今回も、同じ結果になるだろうと思いつつ、多少の改良でも確認できるだろうか、言葉が聞き分け難いのが少しは改善されているだろうかと淡い期待を持って店に行ってみた。
「今度のは素晴らしいですよ」と店員が言う。説明を聴きながら、これまでの経験から、言うほどの満足は得られないだろうと予想しつつ、あれこれ視聴させてもらった。
ところが予想外に、良い感じである。自動車が通る大通りでの雑音もうまく制御されており、会話も聞き分けやすいように感じる。発話の方向も識別できる。
スマホとの連携もでき、スマホにかかってきた電話を、補聴器で聞き取ることができるし、会話も聞き取りやすい。最近は、電話の聞き取りがうまく行かず、電話を使うことを避けているのが、これなら使えるかなという気になる。ただし、iPhone しか対応してないという。
コンピュータが内蔵されており、それが、補聴器を使う場所の環境を分析・把握し、調整するのだそうだ。いわゆるAI(人工知脳)が組み込まれているということらしい。
しばらく、自宅で視聴を続けてみますかという。店での試聴だけでは、確信は持てないので、やってみたいと言ったら、1週間貸与してくれた。
1週間の視聴で、感じたのは、現在使用中の自分のものに比べ、はるかに雑音が少なく、テレビの音声や人との会話も遥かに聞き取りやすい。補聴器をつけていることが気にならない。
やっと、期待できる補聴器を試すことができたと喜んでいるのだが、値段が尋常でない。両耳で100万円という。大変気に入った補聴器ではあるが、欲しいとは思っても、買おうという気にはとてもなれない。
現在使用中のものが具合悪くなり、買い換えねばならなくなったら、2つぐらい下の品質の同系の補聴器を買うということしか考えられない。それでも、43万円もする。
補聴器は良いものがないという先入観を払拭できたことを喜び、しばらくしてもう少し安くなることを期待したい。
明日、補聴器を返却する。もとの補聴器に戻して、きっといろいらすることだろうと気が重くなる。
だが、それに慣れて我慢する他ない。
自作パソコン修理 ― 2018/09/25 14:48
2013年に自作したパソコンでトラブルが続くようになり、もう自作をやる根気に自信を持てず、一昨年、完成品のデスクトップパソコンを購入した。
その際、自作パソコンは予備のパソコンとして、2階に置いて、たまに使うようにしておいた。このパソコンが、最近、起動時、CPUファンエラーの警告が出すようになった。
CPUクーラーはファンのないものを使っているので、ファンの回転速度のモニターを無視する設定しているにもかかわらず、警告が出る。設定を改めてし直しても、警告は出る。これを無視して起動して使っていた。
Windows 10の大型アップデートが始まっているので、アップデートを実行したところ、アップデートでは何回も再起動が起こるので、その都度、警告で止まってしまうことになり、アップデートができず、ついに、パソコンそのものが動かなくなってしまった。
どうしたものかと考えたが、マザーボードのCPUファンの回転速度モニターを無視する設定が効かなくなっているので、またまた中古のマザーボードを買い求め、やり直すことにした。
ところが、上に書いたとおり、ファンのないCPUクーラーを使っており、これが大変な大きさで、新しいマザーボードに取り付けるのが実に面倒な作業となる。
この作業にイライラして、クーラーをファン付きのモノにした。マザーボードのへ各種パーツの取り付けは、手間のかかるもので、それをする根気に自信がないから、自作を諦めたのだが、自作パソコンの修理なので諦めて最後の自作作業を実行した。
やっと作業を完了し、起動したが、間抜けなことに、起動ドライブのSSDに電源を接続するのを忘れ、起動できない。あれこれ、ケースの中を探っているうちに気が付き、電源を接続することで、起動画面がでた。
しかし、Windows 10のアップグレードに失敗し、起動できない状態になっていたもの故、マザーボードを取り替えただけでは、パソコンは起動しない。
改めて、Windows アップデート以前の Windows 10に戻して見た。起動できた。そこで、再度Windows アップデートを実行、なんとか使える状態になった。
ふと、CPUクーラーをを眺めてみたら、CPUクーラーのファンが、ケースの排気ファンと向きが反対になっている。排気ファンとクーラーのファンがほぼ同じ高さの位置に向かい合っているので、これでは冷却用空気が、クーラーに十分届かないとことになる。
そこで、CPU クーラーの取付をやり直すことにしたが、ここでまたまた失敗、クーラーのマザーボードに固定する差し込みの足が壊れてしまい、マザーボードに固定できない。諦めて、クーラーを再購入することにした。
新しいクーラーが届き、作業を開始した。作業を終わり、電源を入れたが、電源が入ると数秒で停止してしまう。あれこれ調べたが分からず、日を置いて、再度点検することにした。
もう一台の Ubuntu PC を動かそうとしたが、何故かこちらまで動かなくなっている。連続するトラブルに嫌気して、こちらもいずれ後日ということにした。
それから19日経つ。だが、手を付けようという気が起きない。挑戦意欲の衰えに我ながらがっかりする。それでも、自らの勇を鼓舞する気にならない。
起動できないデスクトップパソコン2台が2階の部屋にただ鎮座したままである。
その際、自作パソコンは予備のパソコンとして、2階に置いて、たまに使うようにしておいた。このパソコンが、最近、起動時、CPUファンエラーの警告が出すようになった。
CPUクーラーはファンのないものを使っているので、ファンの回転速度のモニターを無視する設定しているにもかかわらず、警告が出る。設定を改めてし直しても、警告は出る。これを無視して起動して使っていた。
Windows 10の大型アップデートが始まっているので、アップデートを実行したところ、アップデートでは何回も再起動が起こるので、その都度、警告で止まってしまうことになり、アップデートができず、ついに、パソコンそのものが動かなくなってしまった。
どうしたものかと考えたが、マザーボードのCPUファンの回転速度モニターを無視する設定が効かなくなっているので、またまた中古のマザーボードを買い求め、やり直すことにした。
ところが、上に書いたとおり、ファンのないCPUクーラーを使っており、これが大変な大きさで、新しいマザーボードに取り付けるのが実に面倒な作業となる。
この作業にイライラして、クーラーをファン付きのモノにした。マザーボードのへ各種パーツの取り付けは、手間のかかるもので、それをする根気に自信がないから、自作を諦めたのだが、自作パソコンの修理なので諦めて最後の自作作業を実行した。
やっと作業を完了し、起動したが、間抜けなことに、起動ドライブのSSDに電源を接続するのを忘れ、起動できない。あれこれ、ケースの中を探っているうちに気が付き、電源を接続することで、起動画面がでた。
しかし、Windows 10のアップグレードに失敗し、起動できない状態になっていたもの故、マザーボードを取り替えただけでは、パソコンは起動しない。
改めて、Windows アップデート以前の Windows 10に戻して見た。起動できた。そこで、再度Windows アップデートを実行、なんとか使える状態になった。
ふと、CPUクーラーをを眺めてみたら、CPUクーラーのファンが、ケースの排気ファンと向きが反対になっている。排気ファンとクーラーのファンがほぼ同じ高さの位置に向かい合っているので、これでは冷却用空気が、クーラーに十分届かないとことになる。
そこで、CPU クーラーの取付をやり直すことにしたが、ここでまたまた失敗、クーラーのマザーボードに固定する差し込みの足が壊れてしまい、マザーボードに固定できない。諦めて、クーラーを再購入することにした。
新しいクーラーが届き、作業を開始した。作業を終わり、電源を入れたが、電源が入ると数秒で停止してしまう。あれこれ調べたが分からず、日を置いて、再度点検することにした。
もう一台の Ubuntu PC を動かそうとしたが、何故かこちらまで動かなくなっている。連続するトラブルに嫌気して、こちらもいずれ後日ということにした。
それから19日経つ。だが、手を付けようという気が起きない。挑戦意欲の衰えに我ながらがっかりする。それでも、自らの勇を鼓舞する気にならない。
起動できないデスクトップパソコン2台が2階の部屋にただ鎮座したままである。
「糖尿病です」と診断された ― 2018/09/25 15:08
毎年、市の補助で、誕生月を挟む一定期間に健康診断を受けている。
今年も受診し、例年通りの結果になるだろうと予想したが、予想に反し、厳しい結果が出た。血糖値が例年より高く(138)、HbA1cは前年より低い(6.7→6.5)が、アルブミン(3.8)が基準値低限を下回っており、「糖尿病です」と断定され、いずれも、内科受診と半年後の再検査を助言された。
これまで血糖値は110~122程度、HbA1cは6.1~6.7を数年続けており、いずれも基準値を上回っている。アルブミンは4.1程度で基準値の低限界に近いものの、基準値内であった。
これまで、糖尿病予備群と言われ続けており、酒好きの身は、そんなものだろうとたかをくくり、余り気にすることなく過ごしてきた。
然し、身の回りに、本格的糖尿病の友人、知人や、縁者が居り、インシュリンの注射をうちながら、時たま、低血糖で倒れたりするのを見かけており、「糖尿病です」の判定には、いささかヤバイという気になった。
はたと気がついたのが、ここ2年ほど、晩酌の他に食後に、ワインや、リキュール、ウォッカをオレンジジュースで割るカクテル(スクリュードライバー)のいずれかを楽しんできたことだ。
そこで、この食後酒を止めること、友人や知人と外で飲食する際も、酒量を晩酌程度に控えることを決心した。
2ヶ月ほど、節酒生活を続けた後、内科の定期検診を受け、再検査をしてもらった。血糖値は、下がった(138→129)が、例年の数値よりは高く、HbA1cは6.5で健康診断の時と同じ。いずれも、基準値を超えていることに変わりはない。
アルブミンは上昇し(3.8→4.3)、例年より若干高く(例年4.1)基準値内に回復していた。
医師からは、節酒の効果が見られるようなので、それを継続することと、栄養指導を受けてみるよう勧められた。
友人から、血糖値を下げる薬を飲んでいるという話を聞いていたので、医師に尋ねてみた。HbA1cが7以上の場合に処方するものと言われた。
栄養指導は、指導の前3日間の食事内容の記録を取り、カミさん同伴で、指導を受けるように言われ、3日後に受けた。
食事の内容については、まず問題ないと言われ、節酒を続けること、糖質の摂取を控えること、運動をすること、体重を減量することを指導された。
節酒だが、2-3年前から休肝日としてカミさんに設定された月曜日を除き、日本酒1合程度を毎晩飲んでいる。節酒を決心してから、飲み方を変えた。
節酒ゆえ、酒量が減るので、少量を口に含み、舌で十分味わってから、飲むようにした。これは、子どもたちが、金婚式の祝に設定してくれた、イタリアンレストランでウェイターが、孫息子にワインの味わい方を解説していたのを真似たものだ。
面白いことに、この飲み方の方が、これまでより酔が早いようだ。その効果か、この酒量で、結構満足するし、食後酒を止めたことをそれほど寂しく感じることもない。
やはり、リキュールや、カクテルを飲みたい誘惑は感じるが、我慢出来ないほどではない。節酒は続けられる自信がついた。
友人・知人との飲み会でも、この飲み方をして、酒量を控え目にするようにしている_とはいえ、晩酌よりは多くなる。小さい体で、酒量が結構進むのを人に感心され(呆れられ?)、自身、いささか自負もしていたが、それも、もう昔話になるだろう。
食事は、カミさん任せで、栄養指導でも、問題はないと言われているので、このままカミさん任せを続ける。量は、もともと、少食なので、気にしない。
運動は、週2回の体操ジム通いが10数年になる。ジムに行かない日は、雨が降らない限り、40分~1時間程度の散歩を心がけている。これは今後も続けるつもりだ。
自分でもそうしたいと念じながら、一向に成功しないのが体重減量である。ジム通いも、散歩も、その意味では効果が認められない。運動量が少ないということだろう。
散歩はただ漫然と歩くだけでは、運動としての効果はないと言われる。だが、脚力の衰えや腰痛を感じるようになって、散歩でも結構疲れを覚えるようになっている。これ以上、激しく散歩する気にはなれない。別の形で運動量を増やすしかないかと考えている。
今年も受診し、例年通りの結果になるだろうと予想したが、予想に反し、厳しい結果が出た。血糖値が例年より高く(138)、HbA1cは前年より低い(6.7→6.5)が、アルブミン(3.8)が基準値低限を下回っており、「糖尿病です」と断定され、いずれも、内科受診と半年後の再検査を助言された。
これまで血糖値は110~122程度、HbA1cは6.1~6.7を数年続けており、いずれも基準値を上回っている。アルブミンは4.1程度で基準値の低限界に近いものの、基準値内であった。
これまで、糖尿病予備群と言われ続けており、酒好きの身は、そんなものだろうとたかをくくり、余り気にすることなく過ごしてきた。
然し、身の回りに、本格的糖尿病の友人、知人や、縁者が居り、インシュリンの注射をうちながら、時たま、低血糖で倒れたりするのを見かけており、「糖尿病です」の判定には、いささかヤバイという気になった。
はたと気がついたのが、ここ2年ほど、晩酌の他に食後に、ワインや、リキュール、ウォッカをオレンジジュースで割るカクテル(スクリュードライバー)のいずれかを楽しんできたことだ。
そこで、この食後酒を止めること、友人や知人と外で飲食する際も、酒量を晩酌程度に控えることを決心した。
2ヶ月ほど、節酒生活を続けた後、内科の定期検診を受け、再検査をしてもらった。血糖値は、下がった(138→129)が、例年の数値よりは高く、HbA1cは6.5で健康診断の時と同じ。いずれも、基準値を超えていることに変わりはない。
アルブミンは上昇し(3.8→4.3)、例年より若干高く(例年4.1)基準値内に回復していた。
医師からは、節酒の効果が見られるようなので、それを継続することと、栄養指導を受けてみるよう勧められた。
友人から、血糖値を下げる薬を飲んでいるという話を聞いていたので、医師に尋ねてみた。HbA1cが7以上の場合に処方するものと言われた。
栄養指導は、指導の前3日間の食事内容の記録を取り、カミさん同伴で、指導を受けるように言われ、3日後に受けた。
食事の内容については、まず問題ないと言われ、節酒を続けること、糖質の摂取を控えること、運動をすること、体重を減量することを指導された。
節酒だが、2-3年前から休肝日としてカミさんに設定された月曜日を除き、日本酒1合程度を毎晩飲んでいる。節酒を決心してから、飲み方を変えた。
節酒ゆえ、酒量が減るので、少量を口に含み、舌で十分味わってから、飲むようにした。これは、子どもたちが、金婚式の祝に設定してくれた、イタリアンレストランでウェイターが、孫息子にワインの味わい方を解説していたのを真似たものだ。
面白いことに、この飲み方の方が、これまでより酔が早いようだ。その効果か、この酒量で、結構満足するし、食後酒を止めたことをそれほど寂しく感じることもない。
やはり、リキュールや、カクテルを飲みたい誘惑は感じるが、我慢出来ないほどではない。節酒は続けられる自信がついた。
友人・知人との飲み会でも、この飲み方をして、酒量を控え目にするようにしている_とはいえ、晩酌よりは多くなる。小さい体で、酒量が結構進むのを人に感心され(呆れられ?)、自身、いささか自負もしていたが、それも、もう昔話になるだろう。
食事は、カミさん任せで、栄養指導でも、問題はないと言われているので、このままカミさん任せを続ける。量は、もともと、少食なので、気にしない。
運動は、週2回の体操ジム通いが10数年になる。ジムに行かない日は、雨が降らない限り、40分~1時間程度の散歩を心がけている。これは今後も続けるつもりだ。
自分でもそうしたいと念じながら、一向に成功しないのが体重減量である。ジム通いも、散歩も、その意味では効果が認められない。運動量が少ないということだろう。
散歩はただ漫然と歩くだけでは、運動としての効果はないと言われる。だが、脚力の衰えや腰痛を感じるようになって、散歩でも結構疲れを覚えるようになっている。これ以上、激しく散歩する気にはなれない。別の形で運動量を増やすしかないかと考えている。
最近のコメント