お袋の入院 422009/10/01 08:04

9月30日(水)

今日も歩いて病院へ。やはり横になり目をつぶっている。いつものようの声をかけいつものような返事。

「元気出た?」と訊く。
「変わらない、普通」

「ご飯は食べた?」
「(首を縦に振りながら)食べたよ」

「たくさん食べた?」
「たくさん食べたよ」

「おいしかった?」
「おいしかったよ」

「そう、それは良かった」
[らっきょう」

「???なに?」
「なに食べたいかって言ったんじゃないの?」

「言わないよ」
「なんて言ったの?」

「おいしかった?て訊いた」
「その前」

「たくさん食べた?」
「その前」

「ご飯食べた?」
「.....」

「らっきょう食べたいの?」
(首を縦に振る)

「看護婦さんに言ってご覧」
「.....」

話していても、すぐ首を右に傾けてしまう。かみさんが、首を左に回し、
「こっちの耳でないとこ聞こえないでしょ」というと、
「聞こえるよ。聞こえるようになったの」

だが、余り聞こえるようにはなっていない。聞こえるようになったというより、今日は、意識が覚めているので、聞き分けられるようになっているのだと思う。

ともあれ、かなりはっきりした会話ができた。しかし、目は開けない。

親父の大嫌いだったらっきょが食べたいというのも面白い。確かに親父が亡くなってから、禁が解けたように良くらっきょを食べていた。食欲が出て来ている証拠だろう。

明日は、介護認定のため市の職員が病院に来る。その時、今日のようにてきぱきと対応すると、厳しい介護認定になるのではないかと、妙な心配をする。

お袋の入院 432009/10/01 22:34

10月1日(木)

今日は、市の介護保険課から、お袋の介護認定再審査に来る日。13:30に市の担当者が病室に来るというので、それに合わせて出かけた。

13:30ちょっと過ぎくらいに病室に付いたら、もう担当官の女性は来ていた。

取り敢えず、我々が来たことを伝えるべくお袋に声をかける。そのあと、母への、質問が始まった。

「お名前は?」-「遠藤キヨエです」

「おいくつですか?」-「90....」

「生年月日は」との問いに、-「大正4年3月18日」と正確に答える。

「さっき声をかけたのはどなたですか?」-「オキテルではなかったのですか?」

「今の季節は春夏秋冬のどれか分かりますか?」-「春ではないですか」

「目は開きませんか?」-(開けようとするが目やにで開かない。ティシューで拭いてやり、指で開けてやる)

担当官が、人差し指を立てた手のかかれたA4程度の絵を見せ、
「これは何ですか?」と訊くが、答えられない。見えないのだろうか。

会話がこのように円滑に進んだわけではない。耳が遠いので何回も繰り返して会話は進んだ。

この程度で、担当官の質問は終わり、我々への質問になった。もっぱらかみさんが答えた。

これまでの生活状況。入院前の状況。介護施設の利用状況。認知症の有無等々。

その後、看護師に状況を訊くということで我々とは別れた。

改めて、ベッドに寄ってみるが、先ほどの質問で疲れたのか、反応が鈍い。

お袋の入院 442009/10/03 22:14

10月2日(金)

今日は、12:30に医者に会う日。ソーシャルワーカー氏が、同席。

医者の言うことは要するに

・腸閉塞の方の医療は終わった
・他の健康状態は今より良くなることはないだろう
・リハビリを勧めるが、嫌がってやろうとせず、何もできない
・後は老人保健施設に世話になるようにした方がよいだろう
・老人保健施設の申し込みはすぐやった方がよい
・老人保険施設はすぐ入れるとはならないが、1~2ヶ月待ちとなるにせよ、受け入れるとの回答を得たら、待ちの期間、この病院の長期療養ベッドに入ることは可能
・申し込みに添付する診断書そのほかは、ソーシャルワーカー氏より直接老人保健施設に送る
・老人保険施設の入居許可の連絡はソーシャルルワーカー氏の方に入るので、連絡有り次第、こちらに連絡してくれる。
・現在服用している薬のうち、認知障害の進展を遅らせる薬だけは、老人保健施設では出せない(それほど高い薬)
・この薬の服用がないために認知障害の進展が早まる可能性がある

医者との面談の後、病室へ。お袋が居ない?! 廊下に出て見回したら、看護師の部屋に車いすに座っているのが見えた。

なんと、一人で、昼食を食べていた。しかし、スプーンで食べ物をすくう手つきがいかにも頼りない。おかゆや、おかずをあれこれ、食べるよう勧めるが、余り食は進まない。かなり残して、もう要らないという。

車いすを病室に押していき、抱いてベッドに移す。ありがとうという。

食事で疲れたのか、腹が張って眠くなったのか寝息を立て始め、反応が極めて鈍くなる。諦めて、病室を出る。

家に戻り、申込書提出の作業。保険施設3カ所(1カ所は、提出済み)と特別養護老人ホームに郵送。

長期療養ベッドに入れそうなこと、頼りないながら、一人で食べようとしていたことが嬉しいニュース。

認知障害を遅らせる薬は保険施設では出してもらえないというのが、気になるところ。

お袋の入院 452009/10/03 22:47

10月3日(土)

病院に行く途中おしめを買い求める。最近、消費量が多い。

15:00時頃病室に着く。看護師が、おしめを持って出てきた。取り替えたという。ベッドに寄ると、何となく臭う。

声をかける。「また来てくれたの、ありがとう」

それ以降は何を訊いても首を縦横に振るだけ。

諦め、「また明日来るからね」と声をかけたら、「ありがとう」

お袋の入院 462009/10/05 09:15

10月4日(日)

15:00頃病院へ。やはり横になり目をつむっている。声をかけ、ありがとうはいつもの通り。

今日も反応は鈍い。とはいえ、目を開けないかというと開けようとする。
開けてもすぐ閉じてしまうのは、眠いからでなくだるいからか。

「元気出ないか?」
「ありがとう」

「リハビリやってるか?」
「ありがとう」

などのとんちんかんな会話は相変わらず、

そのうち、
「ベンガデソウ」という。かみさんが気づき、
「出たの?」と訊くと、
「わからない」
「看護婦さん呼ぼうか?」
「......」

かみさんが臭いを嗅いだが臭わないので看護婦は呼ばない。

「ひ孫の悠人たちが来るかも知れないよ」
「あそう」
「来たら、ありがとうと言ってあげてね」
「悠人君ありがとう」
「今じゃなく、後で来るから」
「あそう」

もう一つ声をかけたら、
「それより先に水が飲みたい」 

何の先かは分からないが、横にある小机にお茶の入っている茶碗があるので、体を起こし、口に持って行ってやる。

一口飲むごとに、ゴックンとのどを鳴らして飲む。結構な量を飲んだ。

こちらが声をかけない限りしゃべらないので、沈黙の時間が多くなる。「しゃべりたくないか?」と訊くと首を縦に振る。

「明日また来るから、明日は、しゃべってね」
「ありがとう」

お袋の入院 472009/10/05 16:40

10月5日(月)

今日は、小生が、内視鏡検査の予定があり、11:00に病院。

下剤を2リットルも飲まされて、待たされ、検査が始まったのは14:00過ぎ。検査を終わり、次の定期検診の泌尿器科に受け付け表を出したのが、15:00時少し前。

かみさんに電話をし、お袋の病室へ。やはり寝ている。声をかけるといつものありがとう。

「元気か?」と訊くと
「変わりないよ」と言う。

「車いすに座ったか?」と訊くと首を横に振る。

「ご飯を食べたか?」と訊くと首を縦に振る。どうやって食事したのかと思う。

「だるいのか眠いのか?」と訊くと、
「だるいのだけど私に質問しないで」という。

声がかけられなくなる。

肩に触れると、「なーに?」 目はつぶっているが、眠っているわけではないようだ。

そのうちかみさんが着き、小生は、泌尿器科の方へ。

かみさんの話では、「何時までも死ななくて悪いね」と言ったという。

何とか元気になろうという気力はないようだ。

お袋の入院 482009/10/07 14:40

10月6日(火)

15:30過ぎ病院へ。今日も寝ている。

いつもの会話でスタートだが、相変わらず反応は鈍い。

足がむくんでいるのを見て、かみさんがもんでやる、「ありがとう」という。

「元気を付けて家に戻ろう」というと首を縦に振るが、その気があるのか...

変わったこともなく、話も進まず、「また明日来るよ」「ありがとう」。

今日の面会はありがとうを3回聞いて終わり。

お袋の入院 492009/10/07 14:52

10月7日(水)

15:00時前、病院の看護師より電話。

食事が進まず、血圧も下がっているので、点滴を始めた。今すぐどうこうというわけではないが、看護師の目の届くところの個室(431号室)に移したとのこと。

かみさんが、歯医者より戻るのを待ち病院へ。

点滴だけでなく、酸素吸入も始まっていた。

看護師が来て、朝の血圧が高い方で80まで下がった。食欲は全くないので、点滴を始めた。現在は血圧が90位までに戻っている。

声をかけても首を振るだけ。息づかいも荒い感じがする。

しばらく様子を見ていたが、反応も鈍いので、明日また来るからねと声をかけたら、小さく、ろれつのもつれたような声で「アイガト」

夕刻17:00頃病院より電話、ろれつが回らないので、念のためCTを撮る、次回来院の折、同意書に捺印して欲しいとのこと。

2日(金)に医者から話を聞いたときは、退院が可能なような説明で、急遽、老人保健施設と特別養護施設の申込書を送ったが、、事態は、少々、好ましくない方向に変わったようだ。

お袋の入院 502009/10/08 20:18

10月8日(木)

今日も15:00時頃病院へ。台風18号も通りすぎて、風はまだ強いが素晴らしい天気になった。よって、歩いて行く。

かみさんが、昨日の病室に入って、違うと言う。また変わったらしい。最初に入った病室(3人部屋の一番窓側)になっていた。

看護婦が3人いる。何か検査をしていたようだ。

MRTとCTIの検査で頭に特段の異常はなかったとのこと。昨日の検査の同意書に署名する。

所が、お袋の右の乳房の下に、腫瘍のようなものがあるという。がんの可能性もあるので、摘出するのは簡単だが、取りますかと訊かれる。

手術に耐えられるのなら、取って欲しいと答える。先生と相談しますとのこと。

かみさんが、寝間着の上から触って、「本当だ、ビー玉位の出っ張りがある」という。「触ってご覧」というので触ってみた。なるほどビー玉のようなしこりを感じる。

例によって声をかけるが、昨日同様反応が鈍い。首を振るだけだ。息づかいが荒い。

酸素吸入と、点滴はやはり続いている。

会話もできないので、明日また来るからねというと、舌がもつれたように「アイガトウ」

夜、食事後、病院から電話。明日、腫瘍のようなものを摘出するという。15:00時前に病院に来て同意書に署名せよとのこと。

かみさんは、風呂に入れていたときも気づかなかったという。しかし、急に、腫瘍ができた訳ではあるまいと思う。

ここのところの事態の展開は、慌ただしい。お袋の元気も以前より無くなっているのが気がかりだ。

お袋の入院 512009/10/09 16:12

10月9日(金)

パソコンクラブを終わり、昼食をしながら談笑しているとき、携帯に電話が入る。

かみさんからで、出先に病院から電話が入り、早めに病院に来てくれとのこと。すぐ家に戻りかみさんと病院に出かける。

病室がまた変わっている。一昨日の個人部屋に戻されていた。

声をかけるが返事はなく首を振るだけ。そのうち裕子が見える。

1度来て、様子を見ていたが、反応がないので、病院のレストランで昼食を取り、我が家へ向かった。留守なので病院に戻ったら、我々が来ていたとのこと。

昼間のワインが効いて、居眠りをする。かみさんと裕子が話をしている。

小一時間も待ったところで、医者が来る。

「血圧が60~70台になった。手術は無理と思われので、中止する。そろそろ危ないかも知れない」とのこと、確かに、日に日に反応が鈍くなっており、息づかいも荒い感じがする。

親父の時も、血圧がどんどん下がっていったことを思い出す。

また明日来るからねと声をかけると、小さくろれつのもつれた声で「アイガト」

裕子と駅で別れる。

明日の孫千尋の運動会は、何はともあれ、小生は見に行くのを止めるほかない。